6時前に起床。
涼しい朝。
雨が降ったあとだから空気に淀みがなくて、すっとした空。
2週間滞在した父を昨日見送って、賑やかだった日々から少しずつ日常に戻る。
早朝夫が畑で収穫してきた今季初のミニトマトが朝ごはんに登場。
リーフレタスはこの時期切れることなく冷蔵庫にあるし、最近はズッキーニも採れ始めてきたりと自家製の夏野菜がだんだんと増えてきた。ありがたい日々です。
日の出前の早朝に畑に佇んでいると、朝露すら降りていない野菜や葉や草木がただ静寂と佇んでいる姿を見ることがでる。それはこの世に人間は自分一人しかいないのではという感覚を味わうことができる。もちろんそんなことは錯覚や幻想に過ぎないのだけれど、そうした時間を過ごしていると、ああ自分もここにある自然と同じいのちなのだということが頭ではなく、こころで実感するものだ。
6時過ぎに起床。どんより曇り空のせいか、寝不足のせいか、体が重だるい朝。
台所に立って食器を戻し、朝ごはんを作り始め少しずつ体と頭を起こしていく。朝は卵焼き、ほうれん草ごま和え、ご飯、味噌汁、納豆、ほうじ茶。
今日は音声配信「面影飛行」のオンライン収録とフェアの撤収、陳列入れ替えとやること盛りだくさんなため、息子を保育園に送り出したあとすぐに家を出てお店に向かった。
職業は何かと聞かれれば、大抵の場合『編集者』と答えることが多い。というのも昨年秋に軽度の不慮の交通事故の被害にあい、現在は回復しているものの、その中で関係各所、特に警察や保険会社などのやり取りをする中で必ず聞かれたのが職業だった。 本屋の店主ではあるけれど、それだけでなくブランドの冊子を制作したり、職人さんのwebを作ったり、サブスクリプションの別荘に宿泊しその感覚体験を制作物に落とし込むなど、実働としてもライティング、文脈作り、スチール撮影、webディレクション、エディトリアルデザインと多岐に渡る。
2025/05/07
6時に起床。昨日は一日雨で、夜も布団の中にいる間しばらく雨の落ちる音を聞いていた。ぽたぽた、ではなくて、ざばざば、という音。無心で耳を傾けていたら心が安らいだ。雨上がりの朝は空気が澄んでいて視界が良好。家の向かいの山も緑色の濃淡がくっきりとしていて、いつも以上に目の前に迫ってくるように感じた。連休明けて、今日から息子はまた保育園へ。しばらく家族と一緒だったので、登園を渋るかなぁと懸念していたけれど、事前に今日は保育園に行くよ、と説明をしていたのが功を奏したのか、わりとすんなりと出かけてくれて、ほっと一安心。朝の片付けを済ませたあと、今日は午前中に打ち合わせがあったので、その時間までほかのタスク作業を進めた。
先日公開した面影 book&craftのポッドキャスト『面影飛行』で橋本左研の橋本さんをゲストにお迎えした時。最後の問いかけとして橋本さんから逆質問をいただいた。その内容が「暮らしという言葉を聞いた時に何をイメージするのか」ということだった。
いつもは人に何かを投げかけてその応答を編集していく仕事をしているので、よくこの手の質問は取材相手に対して投げかけているはずなのに、いざ立場が変わり自分が答える側に立ってみると、意外に難しい。というよりは考えてみたこともなかったな、ということで反射的に言葉は出てこず。しばらく答えに窮してしまったが、一瞬のうちに頭によぎったのが、食卓を囲む風景だった。
収録が終わり、帰りの帰路の車内で妻から暮らしを連想するものとして、こうした自分以外の誰かがそこに一緒にいて囲む風景を挙げたことが、とても意外だったと告げられた。
自然との初めての出会いというものはきっと近所の公園の草花やそこに植っている木々に触れた時だろうか。物心ついた頃の3歳くらいであれば、信州・上田の祖父母の家の前の田んぼの畦道の草花や虫たちのように思う。けれどその時ですら、自然と自分が渾然一体な状況で、自分自身が人間であり、草花は植物であり、昆虫でありと生き物の区別がつくようになったのはもう少し先になってからだった。
2025年4月25日
山笑う。この言葉も時期もとても好き。
冬の間は何日経ってもぴたっと時が止まったみたいに景色は変わらないのに、この時期はぱっと目を離すとすぐに景色が変わっていってしまう。
美しい色を見逃したくなくて、あれも見たいこれも見たいとなんだか気持ちもせわしなくなる。たくさん目に焼き付けたいなぁと思う。
遠くの山が苔色に変わり、目の前の木々が若々しい緑色の葉っぱをゆらゆらと揺らしている。今日もいい天気だ〜
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