ことばの記憶:vol.7 大切な違和感

 日の出前の早朝に畑に佇んでいると、朝露すら降りていない野菜や葉や草木がただ静寂と佇んでいる姿を見ることがでる。それはこの世に人間は自分一人しかいないのではという感覚を味わうことができる。もちろんそんなことは錯覚や幻想に過ぎないのだけれど、そうした時間を過ごしていると、ああ自分もここにある自然と同じいのちなのだということが頭ではなく、こころで実感するものだ。


 振り返ってみれば信州・上田に移住して早5年目となり、自分の生活がいっぺんした。妻と自分という関係性から息子が生まれ3人での生活となり、主食も小麦を使ったパンなどを中心にした食生活からお米が主になった。今も一日に一杯は飲んでいるがコーヒーばかり飲んでいた東京時代が嘘のように、ハーブティーが自分の生活にしっかりと根付いてきた。しかも自分で栽培した植物をドライにしてそれを自分なりにブレンドしながら飲んでいるほどだ。

 作り手の近くで生活したい、もしくはそうした環境に身を置いた時にどのような変化が自分自身やこころの中にやってくるのかを体験したいという、半ば実験的な気持ちも半分くらいで住まいを移したのだが、こうして何かを生み出すという意味において生産者さんたちの近くにいると、自ずとその根源にあるいのちの近くにいるという状況が生まれてくる。ハーブならば種から自分が愛で育て、小麦畑よりも田んぼが家の周りを取り囲む。そして何より、もう一人の人間が生まれ、一日一日の変化を観察できるという特別贅沢な環境がそこにはあるのだ。


 

 こうした変化は急に起こったのかといえば、そうではない。どちらかといえば環境を変えたことにより、今までとの違いや良い悪いは置いておいて何か気になる引っ掛かりにしっかりと目を向けながら再構築していった結果、現状こういった形に落ち着いているだけなのだ。だから全ては“違和感”からいうわけなのだ。

 

 先の早朝の畑でも自分も自然も同じいのちだと感じつつも、その表現方法についてはその種によってさまざまに異なる、ある種の“違和感”を感じることができるのだ。その“違和感”が全てのスタート地点であり、そこから観察が始まり、同じ種のものであればその生長の差分や様子の違いに目が向き、具体的なアクションにまで繋がっていくこととなる。


 お店のイベントでのメッセージでよく感覚を拓くことを提案しているけれど、こうした”違和感”を大切にそれをきっかけに考えると、結果として自身の感覚が拓かれることに通じるのかもしれない。


 これからもそんな”違和感”を大切にしよう。

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