あいかわらず朝4時30分起きの生活をしている。
変わったことといえば、最近新居に引越しをしたことぐらいだろうか。
いやいや、住まいを一から建てたのだから、「引越ししたことくらい」というには、あまりにも軽すぎる。けれど、土地を見つけてから一年半も経てば、当初土地を契約したころに浮き足立っていた頃が懐かしくなるくらい落ち着いたものなのだ。
結局一年くらい設計を行ない、そして半年かけてじっくりと大工さんをはじめ地場の職人さんたちの手で私たちがこれから育みたいことや価値、意味などが乗るような素材によってカタチにしてもらった。まだピカピカの一年生がデカいランドセルに背負われているような心持ちなのだが、時が経つにつれてぺたんこで味わい深いランドセルのような風体になれば良いなと思っている。
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場所が変われば少しライフスタイルが変わってきて、読書する時間帯が早朝から次第に昼の空き時間に集中して読むようになってきた。特にお盆休み中は息子も保育園が夏休みとなるので、自宅でお昼寝で寝た時などが妙に読書が捗ることに気づいてしまったのだ。息子の寝息をBGMに字面を追う午後、2025年の夏休みのハイライトの景色はそんなものだろう。
お店で紹介する本以外に、久々に本を買った。
自然農の提唱者でもある川口由一さんの著書『自然農にいのち宿りて』という昔の本なのだが、ノウハウなどは一切書かれておらず、自然というものの解釈やそれと向き合う私たちの姿勢や態度などが丁寧に書かれている。
その中で頻繁に出てくるキーワードの一つとして『沿う』が挙げられる。自然に沿うという文脈で語られているのだが、自分の言葉で解釈を加えれば、朗らかな眼差しで観察するといったところだろうか。自分自身のエゴはなるべく抑えてありのままの状態を見て一緒に考えていくといった感じも近いかもしれない。
そうした場面は毎日畑の中でも感じることがある。それはミニトマトの微妙な色付き加減から「もう、採り時だよ!」というメッセージを感じることもあるし、雨の少ない時期の里芋の葉の色が次第に抜けていく様から「ちょっとお水くださいな!」というヘルプを受け取ることもある。そうして植物たちに寄り添いながら手をかけていく日々なのだが、どれも必ずその手をかけたことが正解になるとは限らないし、正しい答えが何なのかを確かめることすらできない。ただ事をなしてから、これでよかったんだとこころの中で自分を慰めるかのように唱えるくらいしかできないことも自然と向き合う面白さでもある。
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そんな川口さんの著書から『沿う』というキーワードが目に留まったことがきっかけなのか、この期間中に読んでいたお店で紹介したい本の中にも同じようなニュアンスや意味合いの言葉い出会うことが多かった。
偶然なのか、必然なのか。先の野菜たちみたいに何かしらの気づきのメッセージを送ってくれているのかとも言えるくらいに頻繁に見かけることが多かった。その本たちは建築、公共施設、文化人類学、アートという異なるジャンルにまたがっているので、時代がそういった空気感を作り出しているとも言える。考えてみれば『沿う』ことができるということが人間としての特性の一つなのだから、どんなジャンルであろうと、その本質、原点に立ち返っているのではないだろうか。
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自然に沿う、家に沿う、子どもに沿う、パートナーに沿う。
あなたはちゃんと沿えているだろうか。
そんな問いをもらった2025年の猛暑。
猛暑にも私たちはもう少し沿う必要がありそうだ。