職業は何かと聞かれれば、大抵の場合『編集者』と答えることが多い。というのも昨年秋に軽度の不慮の交通事故の被害にあい、現在は回復しているものの、その中で関係各所、特に警察や保険会社などのやり取りをする中で必ず聞かれたのが職業だった。
本屋の店主ではあるけれど、それだけでなくブランドの冊子を制作したり、職人さんのwebを作ったり、サブスクリプションの別荘に宿泊しその感覚体験を制作物に落とし込むなど、実働としてもライティング、文脈作り、スチール撮影、webディレクション、エディトリアルデザインと多岐に渡る。
けれど本当に自分のやっているそれらのことが世間で言われる『編集者』の仕事なのかと言われればそうではない気がする。言葉のイメージとしてはどこかの出版社に属してお抱えの作家さんにお伺いを立てたり、雑誌であれば校了間際に奔走しなんとかおさめるといったことを想像に難くないはず。これが世間でいう『編集者』であるならば、きっと自分は『編集者』ではないのだろう。
先月末から新たに約1500平米の農地を借りた。信州・上田に移住を機に先祖の土地からスタートした自然農を行なう農地が手狭になり、その可能性を広げていくために新たな農地に手を出した次第だ。
短く見積もっても約10年くらいは自然のままに放ったらかされていた農地を開墾してくのは、こうして言葉にする以上の気力と体力を要するものであった。ブッシュ化しほぼ木に成り代わっている雑草やどんどん農地に進出しようとしてくる竹林を伐採することはなかなかない経験と自分を半分騙しつつ日々コツコツと決心する。
けれど耕さない農として知られる自然農であっても、最初の畝立てというものはほとんどの場合行なうため、実働は土木工事さながらの重労働が強いられた。畝になる部分は耕さないけれど、その周りは溝を深さ40cmほど掘り下げ、その掘り出した土を畝になる部分に持ち上げるという重労働が課された。
結果として合計25本くらい畝を作ったのだが、次第に夏に向けて気温が上がってくるので、日中帯に数をこなすのはなかなかハードで、やむなく早朝4時半に目覚ましをセットし、NHKラジオ深夜便をお供に畑に向かう始末だった。
けれど習慣というのはすごいもので、そんな生活を一週間してみると面白いもので、なんの苦痛も伴わなくなり、むしろ今では目覚ましなしでも起きられ、畝を立てたくて仕方がないと思ってしまうほどになったのだ。野菜を栽培したいのではなく、むしろ綺麗な畝を作り上げたい、そんな気持ちの毎日だった。そして雑木林のような場所は古代遺跡や古墳群のような不思議な風景と成り代わっていた。
ただ広い平原(今回の耕作放棄地に関しては雑木)にイメージを見出し、そこにある物を工夫しながら組み立て、手を動かす。手を動かしてくると見えてくる風の景(影)さながらの幻影を頼りに、またひたすらに手を動かすと確かな風景がそこに立ち表れてくるのだ。このアプローチは自分のやっている仕事や農との共通点ともいえるのではないだろうか。
2025年夏至に日々の自然農の記録のために『面影圃場 - オモカゲファーム -』というインスタグラムのアカウントを立ち上げた。自然農の畑も5年目に突入し、先の耕作放棄地も開墾したこともあり、あらためて自分は野菜やハーブを育てているのか、どうなのかと思うようになったこともこのアカウントを立ち上げたきっかけにもなった。どちらかというと、自分の日々の農への眼差しは、土が健やかに育まれ変化する様子を野菜やハーブを通して見させてもらっている、そんな感覚だからだ。
圃場という単語をつけた理由としても、農作物を栽培するための場所である水田や畑、果樹園、牧草地などをまとめて指す圃場という言葉、そしてこの圃場の変化、つまり面影を見続けるという意味も込めて、『面影圃場』とした。
先述の問いに立ち返るとすると、自分の職業は、「想像し創造すること」に他ならない。けれどそんなことを職業を聞かれて際に答えたら、ポカンとされること間違いなしだろう。だからこれからもそう聞かれれば、きっとこうしたことを胸に秘めながら『編集者』と答えるだろう。