庭のかたちが生まれるとき 庭園の詩学と庭師の知恵 / 著者・山内朋樹 / フィルムアート社
在るべき場所へ
エディトリアルデザインの仕事をしている時、集まったテキストや写真の素材などを配置していく段階になると、このテキストの隣には自ずとこの写真がくるだとろうということで全体のデザインの雰囲気が決まってくる。大抵がそうしか感んじで配置していくと最終的には思い描いた以上のものが生まれてくるような気がしてくるのだ。手を動かすこちらは頭を動かさず、然るべき場所がどこなのかを読み解く、そんな感じなのだ。
この感覚が何かと似ていると感じていたものの、それが何なのかごく最近まで分からなかったのだが、自然農を3年目になった頃くらいから、それが作物の苗や種の植え付け場所を決めるときの思考、いやフィーリングととても近いことに気がついた。春から夏にかけて、夏から秋にかけて圃場で栽培する野菜はリレーのごとく種類を変えながら栽培していく。植え付けや種まき前に何んとなく計画はするものの、実際に現地でその場所の様子を見ていると、直観的にここにはこの野菜ではなく、こっちのをと配置をしていくと、最終的になるようになるから面白い。最近は栽培してみたい野菜の種などをバンバン仕入れるものだから、植え付けする場所がないのではないかとヒヤヒヤものだ。けれどそんなことも杞憂に終わり、在るべき場所に、落ち着くところに落ち着くものだから、自然というものは良くできているとも言えるかもしれない。
とはいえ、この落ち着くところに落ち着くということや、然るべきようになる、なんて言われたところで聞かされた方はピンとこないだろう。そんな時に手にしてもらいたいのが、本書『庭のかたちが生まれるとき 庭園の詩学と庭師の知恵』だ。
庭を見るとき、わたしたちはなにを見ているのか?
庭をつくるとき、庭師たちはなにをしているのか?
そもそも、庭のかたちはなぜこうなっているのか?
庭師であり美学研究者でもある山内朋樹が、京都福知山の観音寺を訪ね、その大聖院庭園作庭工事のフィールドワークをもとに、庭のつくられ方を記録した「令和・作庭記」である。
ここに出てくる庭師こそ、職人の眼と勘によって素材を鑑み、庭として感覚的にカタチにしていくのだが、それを山内さんの丁寧なヒアリングと分析によって解き明かしていくところが本書の面白いところ。
庭について、石組について、植栽について、空間について、流れについて、部分と全体について……制作のプロセスを徹底的に観察するとともに、その造形(かたち・構造)の論理を分析し、「制作されるもの」と「制作するもの」の間に起きていることを思考する。ミクロの視点で時間軸を引き伸ばしながら、かたちが生まれるその瞬間を丹念に解読していく、他に類を見ない新しい「制作論」。
本書を読んだ後には、これまで見ていた庭や、木々や、石や、そして景色の見え方が変わって見えはずだろう。
<目次>
はじめに——ぼくが庭のフィールドワークに出る理由
第1章 石の求めるところにしたがって〈庭園の詩学①〉
1 ただの石から見られる石へ
2 つくる行為をうながすもの
3 他性の濁流をおさめる
第2章 集団制作の現場から〈庭師の知恵①〉
1 不確かさのなかでともに働く
2 設計図とはなにをしているのか?
第3章 徹底的にかたちを見よ〈庭園の詩学②〉
1 石と石とが結びつくとき
2 意図しないものの蓄積とパターン
3 あってないような庭とありてある庭
第4章 物と者の共同性を縫い上げる〈庭師の知恵②〉
1 バラバラの物をDIYで結びつけよ
2 庭師の知恵と物騒な共存
3 物と踊る技術
第5章 庭をかたちづくるもの〈庭園の詩学③〉
1 造形的達成はどこからやってくる?
2 石をかたづけるときに起こること
3 質的飛躍と作庭の終わり
おわりに——フィールドワークは終わらない
山内朋樹
1978年兵庫県生まれ。京都教育大学教員、庭師。在学中に庭師のアルバイトをはじめ研究の傍ら独立。庭や美術作品をはじめとする制作物のかたちの論理を、物体の配置や作業プロセスの分析から探究している。
著書に『庭のかたちが生まれるとき』(フィルムアート社、2023年)、共著に『ライティングの哲学』(星海社、2021年)、訳書にデレク・ジャーマン『デレク・ジャーマンの庭』(創元社、2024年4月刊行予定)、ジル・クレマン『動いている庭』(みすず書房、2015年)。



