ナウシカ考 風の谷の黙示録 / 著者・赤坂憲雄 / 岩波書店
読み解く力
小さい頃から読解力というものが苦手だった。読み解く力と書いて、読解力。国語のテストなどでその能力を問われるわけなのだが、「作者の意図に合うものを答えよ。」なんて言われても、こちとら作者でもないしそんな答えなんかは読者の誤読でしかないのではないだろうかと思いながら、渋々答えを選択したものだ。そしてそんな天邪鬼なこころで選んだ訳だから、正解なはずもなかった。
そういった意味では、今の社会はこれが正解だというものの押しつけが至る所で散見されている気がしてならない。答えありきの問題設定を前提とする教育制度、そしてそこから生まれる思考の枠組み、それらの問題なのかだろうか、自らが独自の視点でその事象をゆっくりと考える時間の猶予や余裕も、今の社会では誰かが与えてくれるものでは無いだろう。
子どもの時分に金曜ロードショーで宮崎駿のジブリ作品を観るのが好きだった。劇場で観るよりも、なぜかVHSビデオに録画してそれを何度も観るのが好きだった。『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』、『天空の城ラピュタ』は子供心を踊らせてくれる作品だったけれど、唯一自分的なハズレ回は『風の谷のナウシカ』だった。
時代設定もそれが過去、現在、未来のどこ部分に当てはまるのか理解できなかったし、結局何を伝えたいのか、幼い頃の読解力では何も感じられず、ハズレ回として次のジブリ作品がVHSに上書きされてしまい、記録や記憶の外側に追いやられてしまったのだ。
そんな『風の谷のナウシカ』だが、2020年から起こった未曾有の疫病で自宅待機を命ぜられた際にマンガ版を購入し、貪るように読み込んだ。時代が追いついたのか、それとも自身の読解力が追いついたのか定かではないけれど、内容が現在考えうる現在から未来にかけてのベクトルと同じ方向性や顛末がそこに描かれているように感じ、私たちの行先を案じつつ、それがどこに向かうのかということを知りたい一心でページをめくったように思う。結果、分かったようできっと読み落としている部分、解釈が追いついていない部分があるのは承知の上で宮崎駿作品で一番好きな作品になったのだった。
さて、前置きがだいぶ長くなってしまったが、こちらの本書『ナウシカ考 風の谷』はナウシカ好きにはぜひ読んでいただきたい考察本だ。
一九八二年から雑誌『アニメージュ』に連載され、映画版の制作を挟み九四年に完結した、宮崎駿の長編マンガ『風の谷のナウシカ』。この作品の可能性の種子は、時代の喘ぎのなか、いま、芽生えと育ちの季節を迎えようとしているのかもしれない――。と語るのは著者であり民俗学者の赤坂憲雄さん。多くの人に愛読されてきたこのマンガを二十余年の考察のもと一篇の思想の書として徹底的に読み解いた一冊。
これぞ、考察力、いや読解力と言いたい一冊。
<目次>
第1章 西域幻想(秘められた原点;神人の土地へ)
第2章 風の谷(風の一族;蟲愛ずる姫;子守り歌;不思議な力)
第3章 腐海(森の人;蟲使い;青き衣の者;黒い森)
第4章 黙示録(年代記;生命をあやつる技術;虚無と無垢;千年王国)
終章 宮崎駿の詩学へ
赤坂憲雄
1953年東京都生まれ.専門は民俗学・日本文化論、東京大学文学部卒業。学習院大学教授。2007年『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞,芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞。『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫)、『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)、『東西/南北考』『武蔵野をよむ』(岩波新書)、『性食考』(岩波書店)など著書多数