胎児の世界: 人類の生命記憶 / 著者・三木成夫 / 中央公論新社
過去への遠い眼差し
ふとした瞬間に懐かしさを感じることがある人は多いのではないだろうか。かくいう僕もしょっちゅうそんなことに思いを馳せているからしょうがないのだけれど、ふとした夕焼けに照らされた雲を見たり、信州・上田の特有の現象ななのか冬の風の中にあるほんのりと甘い香りを感じた時などに、「ああ、懐かしい」とつい思ってしまうのだ。思った本人ですら何に対して懐かしさを感じているのか定かではないけれど、思ってしまうのだから仕方がない。
きっとそういうことは、今の自分の経験とかではなく、先祖やそのまた先祖などの経糸の系譜からくる経験値が自分自身の中のDNAレベルで記憶しているのだろう。
本書『胎児の世界』のページをめくっていると、こうした意識せずとも脈々と備わったものや私たちが無意識の中で体得している何かについてわかりやすく、そしてマニアックにまとめてくれている。
赤ん坊が、突然、何かに怯えて泣き出したり、何かを思い出したようににっこり笑ったりする。母の胎内で見残した夢の名残りを見ているのだという。私たちは、かつて胎児であった十月十日のあいだ羊水にどっぷり漬かり、子宮壁に響く母の血潮のざわめき、心臓の鼓動のなかで、劇的な変身をとげたが、この変身劇は、太古の海に誕生した生命の進化の悠久の流れを再演する。それは劫初いらいの生命記憶の再現といえるものであろう。
この一冊にまとまっていることは本当のことなのだと思わせてくれる内容。
いつもの思考より、もっと遠くに眼差しを向けたい時に相棒にしたい一冊だ。
<目次>
Ⅰ 故郷への回帰――生命記憶と回想
- 民族と里帰り
- 「椰子の実」の記憶
- 絹の道
- 里帰りの生理
- 母乳の味
- 母乳と玄米
- 哺乳動物誌
- 味覚の根源――「憶」の意味
- 羊水と古代海水
- 出産
- 脊椎動物の上陸
- いのちの塩
Ⅱ 胎児の世界――生命記憶の再現
胎児の発生過程や形状、個体発生と系統発生の関係、奇形が持つ意味、胎児の夢について論じられています。
Ⅲ いのちの波――生命記憶の根原
食と性の位相交替、ヤツメウナギの変態、内臓の波動、リズムの本質、東洋の「道」といったテーマを通じて、生命記憶の根源を探求します。
三木成夫
丸亀中学から六高を経て、九州帝国大学工学部航空工学科が廃科となり、東京大学医学部と進み、東大助手を経て、東京医科歯科大学助教授、東京芸術大学教授。また、弟子の河野邦雄筑波大学教授の招きで、筑波大学開学以来非常勤講師も務めた。
1963年「オオサンショウウオに於ける脾臓と胃の血管とくに二次静脈との発生学的関係について」で東大医学博士。1987年、脳出血のため死去。享年63(61歳没)。生前に出版された本は二冊(『胎児の世界』中公新書、『内臓のはたらきと子どものこころ』築地書館)にすぎないが、死後続々と遺稿が出版され、解剖学者・発生学者としてよりも、むしろ特異な思想家・自然哲学者として注目されている。

