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名前のないカフェ

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名前のないカフェ / 著者・ローベルト・ゼーターラー 、翻訳・浅井晶子/ 新潮社




カフェから見た世界




海外を旅している時に困ることが、トイレ問題。日本のそれのように公共トイレなどがテロ対策なども考慮されてのことなのだろうが、気軽に街路の公園などに設置されていることはあまりない。その代わりと言っては何だが、街中にあるカフェには大変お世話になったことを記憶している。

デンマークのボーンホルム島に足繁く通い始めた頃、予定を入れずに路線バスを乗り継いでどこまで行けるかということにトライをしていた時もそうだった。バスもそんなに本数も多くなく、時間帯によっては一時間に一本くらいの本数だったので、タイミングによっては停留所から停留所までの間を徒歩移動などをした。歩けば喉が乾く。喉が乾けば水を飲む。水を飲めば尿意をもよおすのは生理現象なので当たり前。それが街中ならばまだしも、左右に何もない平原などならわけが違う。人や車通りもまばらなら野に放つことも辞さないが、そこそこ交通量のあるところだったので必然とその選択肢は消えてなくなった。そんな途方も無い状態の中、一軒のカフェを目にした時は砂漠の中でオアシスを見つけた時にこんな気持ちになるのかというくらい助かったという気がした。

自分が通常時ならば絶対にと言っていいほど入らないであろうその出立。店内はBGMも無しに地元のギャングのような男たちが昼間からビールを飲んでいる。そんな中、「トイレを貸して欲しい」とお願いするとかなり迷惑そうな顔つきでトイレの場所を言葉なしに目配せだけで教えてくれた。用を済ませ、いそいそとさようならと出ていくわけにもいかず、次のバスが来るまでと誰に約束する訳でもなしにこころに決め、コーヒーを一杯頼んだ。旨くもなくかといって特別不味い訳でもないそのコーヒーを飲みながら、地元の常連と一緒に空間を過ごす中でこれこそが本来のカフェの姿だろうと思った。客引きのため過度に大見えを切った商品やメニュー、きれいすぎる内装、見せ物小屋を見に来た客の如く押し寄せる人並み。そんなものは本来のカフェに在らずなのだ。地元の人たちが背伸びせず来れる、日常の延長こそカフェなのだ。親切にトイレを貸してくれたあのカフェはまだあるだろうか。感謝したい。


さて、前置きがかなり長くなってしまったが、本書『名前のないカフェ』を読み進めていた時にこのエピソードを思い出したのだ。本書には本来あるべきカフェの姿が等身大で描かれている。キラキラしたものではなく、描かれるものは淡々と繰り返されるのはごく当たり前の日常の様子。変に誇張もされずに同じトーンで進んでいく展開を追っていると、小説の中はゆったりしているはずなのに、読むスピードは無意識に加速していってしまう。

街角に戦争の名残をとどめるウィーンで、孤児院で育った男が開いた小さなカフェ。メニューはラードを塗ったパン、赤白ワイン、ビール、コーヒー、塩づけキュウリと、わずかばかり。市場で身を粉にして働く者、盛りをすぎたプロレスラー、ロシア生まれの女癖の悪い画家などそれぞれ孤独を抱えた人々が、束の間の居場所を求めて集まるが……。

ドイツ語圏のミリオンセラー『ある一生』の著者が描く、働き続けることと生き続けることのかすかな輝きが静かな感動を呼ぶ長篇小説。


その店には、居場所のない人々が集まった。ささやかなぬくもりを求めて――。




ローベルト・ゼーターラー

1966年ウィーン生まれ。俳優として数々の舞台や映像作品に出演後、2006年『ビーネとクルト』で作家デビュー。『キオスク』などで好評を博す。2014年刊行の『ある一生』は、ドイツ語圏で100万部を突破。2015年グリンメルズハウゼン賞を受賞。2016年国際ブッカー賞、2017年国際ダブリン文学賞の最終候補に。2018年刊行の『野原』は、「シュピーゲル」誌のベストセラーリスト1位を獲得、ラインガウ文学賞を受賞。名実ともにオーストリアを代表する作家の一人。



▼松浦弥太郎

人はいつも、人を支え、人に支えられている。それは声高な言葉でも、特別な出来事でもない。通りすがりのカフェで、黙って隣に座るひととき、何も言わずに差し出される一杯の飲み物。そうしたささやかな日常が、気づかぬうちに誰かの一日を、そして自分の心をあたためている。それでも人は、最後まで孤独を引き受けて生きていく。誰かと並んで歩いていても、変わりゆく日々を生きる責任だけは、静かに自分の手の中に残す……。その孤独を知っているからこそ、人は他者の痛みにやさしく気づき、そっと手を伸ばすのだ。




▼Der Tagesspiegel ターゲスシュピーゲル紙

著者が愛情をこめて光を当てるのは素朴な人々だ。人生をなんとか渡っていこうと格闘する人々。ローベルト・ゼーターラーは、それぞれの登場人物を生き生きと親しみ深く描き出す。まるでゼーターラー自身が毎日ジーモンのカフェで彼らに会っているかのように。

 

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