魔法の石板:ジョルジュ・ペロスの方へ / 著者・堀江敏幸 / 白水社
生きづく問い
人生80年だとしたら折り返し地点が見えてきた。まだまだ先は長いようでいて息子がもう4歳となったことを鑑みた時にまだ自分の4歳の記憶が鮮明なこともあり当時の親が現在までに至るまで見てきているので残り時間の様相が否応なしに頭の中にチラついてきてしまう。
仮に人生の半分を過ごしたとしても、その時間の中での経験すら意味をなさない現象など、自分の周りにはまだ訳のわからぬことがが起こったりするからある種、まだまだこれからも新鮮な気持ちで人生を過ごせそうだとも言えそうだ。
フィンランドの首都ヘルシンキから電車で2時間ほど行ったところにあるクラフトが盛んなフィスカルス村に滞在した際に、ヘルシンキで好意にしてもらっていたギャラリストから紹介された日本人の家具職人とランチをする機会があった。その彼はフィンランド在住歴が日本での在住歴を超えるくらい長く、現地人よりも現地人のようなそんな雰囲気を纏っていた。日本へも久しく戻ってきていなかったようで、交わす言葉と言葉の間や日本語が独特過ぎて、それが影響してなのか段々と僕自身の体調が突然悪化するという謎の現象が起こってしまった。しばらくレストランのトイレの個室から出ることができなくなるまで悪化してしまい、その後、彼の工房を見せてもらう予定になったのだが、やむなく別れることとなったのだ。後にも先にもこんなことは一度もなく、一体あれはなんだったのだろうかと未だに不思議なのだ。互いが持ち寄る“周波数”的なものの相性のせいなのか、量子力学的な視点でこうした現象を上手く言語化してもらえないものかと思っている。
本書『魔法の石板:ジョルジュ・ペロスの方へ』を読み進めていると、エッセイの中で同じような“周波数”のもつれのような現象についてジョルジュ・ペロスの詩を引き合いに、話題として提供されていた。これについて明確な回答はないけれど、自分個人に拠る現象ではなく、稀にそうしたことは誰にでも起こることで皆口には出さないけれど同じような境遇を味わっていることに安心するとともにとても驚いた。
さて、改めて本書『魔法の石板:ジョルジュ・ペロスの方へ』は著者・堀江敏幸さんが、パリを離れ、ブルターニュの漁師町に移住した孤高の詩人ジョルジュ・ぺロス(1923-78)の人生を辿りながら自身の言葉や生活と照らし合わせて言語化している長篇エッセイだ。
名声を嫌い、「私」を消し、孤独を渇望したジョルジュ・ペロスは、敬愛するジャン・グルニエに接近しながらも離れていく生き方を選んだ。漁師町の人々との貧しく生き生きとした暮らしのなかで生まれる孤独と詩的な状態に耳を澄ませ、生への希求を日々の断片に刻んだぺロスに堀江さんは共鳴し、深い信頼を寄せる。なぜこれほどまでにぺロスの言葉に魅了されるのか。その光源を自ら探りあて、言葉への信頼を取り戻す渾身の長篇エッセイ。生きている中で浮かび上がる光と影を言葉として詩で表したジョルジュ・ペロス、彼が生み出す言葉は誰しもが感じているこころの中の光と影に呼応しているのかもしれない。
近年、再評価が進むぺロスの新資料をもとに全面的に加筆し、20年の時を経て鮮明によみがえるぺロスの声に呼吸をあわせ、73頁分の追記を加えた決定版。
<目次>
取り逃がした詩の影——序章
従僕の位置
螺旋状の仕事
空白のダンディズム
友情の限界
彼女はそこにいる
マッツォーラ、リヴェラ、リヴァ——間奏曲
「近しいひと」のムーブメント
生きるという天賦の才
背中合わせの沈黙
ただ生きられたものだけが
火急の言葉
失われた声
退屈でない日曜日のために
息を吹き込む土地——終章
あとがき
何度言えば足りるだろう——Uブックス版への追記としての断章群
註/参考文献
堀江敏幸
1964 年、岐阜県生まれ。95 年『郊外へ』で作家デビュー。99 年『おぱらばん』で三島由紀夫賞、2001 年「熊の敷石」で芥川賞、03 年「スタンス・ドット」で川端康成文学賞、04 年『雪沼とその周辺』で谷崎潤一郎賞、木山捷平文学賞、06 年『河岸忘日抄』及び10 年『正弦曲線』で読売文学賞、12 年『なずな』で伊藤整文学賞、13 年『振り子で言葉を探るように』で毎日書評賞、16 年『その姿の消し方』で野間文芸賞、26 年『二月のつぎに七月が』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。主な著書に『子午線を求めて』『書かれる手』『回送電車』『いつか王子駅で』『未見坂』『燃焼のための習作』『定形外郵便』など多数。主な訳書に、マルグリット・ユルスナール『なにが? 永遠が』など。


