犬は生まれながらにして哲学者である / 著者・マーク・ローランズ / 青土社
意味と現実の狭間に
小学校一年生の時に、犬に追いかけられたことがある。団地が群立している地域に住んでいたこともあって、昼に学校が終われば同じ団地群のみんなで一緒の方面に進み、棟が異なるのである地点から散り散りに各々の家へと帰っていくのがお決まりだった。
そんなある日、最後にみんなと別れるいつもの場所で、1匹の野良犬もしくは迷い犬を皆が囲み、あやしているところに出会した。ポメラニアンのような小さな犬種だったが、おそらく何か不足の事態があり飼い主と離れてしまい、やたら怯えそして吠えてくる。
そうして一人、また一人とその囲みから家に帰っていき最後の数人になり、自分もそろそろかと、家に帰ろうとした。残っていた友達にじゃあねと告げ、その場から離れていくと、なぜか僕の方だけについてくる。はじめのうちはあっちに行け!なんて振り返りながら言ったのだが、そんな言葉は犬に届くはずもなく、ただただ吠えながらついてくるのだ。
痺れを切らし全速力で家に向かう。その追ってくるそのスピードと吠えている声はその当時の僕にとっては恐怖そのものだった。どうやってそうなったのかわからないが、上手いことに追っ手を巻くことができて、涙ながらに家に到着し、母に一連のことを伝えると、それは人ごとなのだが、人ごとのように笑われて、とても腹が立ったものだった。当時を振り返ってみると、犬は何も脅かしてやろうとかは思っておらず、ただただもっと僕たちと遊んでいたかっただけだったのかもしれない。
人間は悲しいかな、その起こっていることの意味や理由を考えてしまう。けれど、犬というものはただその場に生きているだけ、つまりただの現実を生きているのだ。意味を生きる人間と現実を生きる犬。そんなことを本書『犬は生まれながらにして哲学者である』を読んでいるとそうした人間と犬の違いを犬目線で感じることができることだろう。
もし犬が哲学書を書いたとしたら、どんな本になるだろう?という問いから始まるこの一冊。犬は生について、生のなかにある大切なものについて、そして生きかたについて、われわれ人間に教えてくれる。哲学とは何かなどあずかり知らずとも、生きることをつうじて。人生のほとんどを犬と暮らしてきたひとりの哲学教員が、歴代の哲学者たちの思想と、犬の認知をめぐる心理学研究を渉猟しながら、自由や道徳、それから愛についての思索を深めていく。
毎日の散歩を全力で駆け抜け、死のほんの数分前まで大好きだった遊びに興じる——。目の前のことに没入し、その活動を心から愛する犬たちは、生きることの喜びを知っているのではないか。迷い、ためらい、自らを断罪する人間という生きものを、犬の生きざまから照らしかえす哲学エッセイ。
犬を知ることは人間を知ることに通じてくるのかもしれない。
そんなことを思わせてくれる一冊。
<目次>
はじめに
一章 シャドウの岩
二章 吟味のない生
三章 鏡よ、鏡
四章 賭博者の自由
五章 善き犬
六章 生の設計
七章 イップスに苦しむ犬
八章 エデンにまなざしを投じ
参考文献
謝辞
マーク・ローランズ
マイアミ大学哲学科の教授・学科長。著書は20冊以上にのぼり、計20ヶ国語をこえる言語に翻訳されている。なかでもオオカミ犬「ブレニン」との出会いと別れをつづった『哲学者とオオカミ』(白水社、2010年)は世界的ベストセラーとなった。邦訳のあるほかの著書として、『哲学者が走る』(白水社、2013年)がある。



