植物考 / 著者・藤原辰史 / 生きのびるブックス
植物のように
毎年種採りというものを行っている。植物の実が成りその収穫がほぼほぼ終わった段階で、ある一つの実だけ収穫を見送り実がなった状態で熟すのを待つ。たとえそれが緑色のピーマンであっても赤くなるまで待ち、熟したのが分かった段階で採り、実を割って種を出す。そのままで閉まってしまうとカビたり腐敗してしまうおそれがあるため、数日乾燥してから閉まっておくという算段だ。秋に行うこの種採りの作業は収穫の喜び以上に翌年への希望の収穫でもあるのでとても喜ばしい行為ということもできる。けれどその種を翌年の春にまた蒔くのだが、今度は秋に自分で採った種がしっかりと芽吹くのかというある種の不安な気分になるから、自分はここ最近は色々な意味で植物に揺り動かされているのだ。
衣食住において私たち人間は植物の力や恩恵に預かり、生命や文明を発展させてきた。光合成をしていのちを繋いでいる植物に依存しているということは私たちは太陽光が変換されたエネルギーを摂取し、身につけているともいうことができるとある記事で論じられていて目から鱗が落ちるようであった。
さて、本書『植物考』はまさしく私たちの身の回りに在る植物という存在についてあらためて考えるきっかけになる一冊だろう。
人間は何より高等な生命だと私たちは思いがちだ。だが、それは真実だろうか?歴史、文学、哲学、芸術を横断し、ありうべき人間の未来をさぐるエッセイ。
この一冊は何かを教えてくれるものではなく、考え続けるための問いがまとまっているはずだ。
<目次>
◆第1章 植物性
植物と人間の違い
植物性
植物は動かないのか
炸裂
人間の根と葉
◆第2章 植物的な組織
出町柳の根性松
植物の知性について
マンクーゾの描く植物的な未来
植物的な政治?
評価機構なき組織化
マンクーゾを超えて
◆第3章 大気のクリエーター
コッチャの「植物の哲学」
枯葉剤
大気と太陽
浸り
「浸り」を買う時代
◆第4章 植物の舞踏―ブロースフェルトの『芸術の原形』に寄せて
ブロースフェルトの写真
ベンヤミンの評価
建築物としての植物
彫刻作品としての植物
踊りとしての植物
『芸術の原形』が教える植物論
◆第5章 根について
起死回生
根の形態
植物恐怖症
ハンナ・ヘーヒ
立てこもる庭
ヘーヒの植物の絵の特徴
嵐の時代の根毛
◆第6章 花について
花束について
劇場としての花
理性としての花
◆第7章 葉について
「モンステラ王」
裂ける葉
食べられる葉
飛翔できない鳥
植物性の青い針
葉のない植物
冷却装置としての葉
ゲーテにとっての葉
教訓詩「植物のメタモルフォーゼ」
空気間隙
植物の多孔性
◆第8章 種について
種とはなにか
種と風船
植物と歴史学
植物と帝国主義
『植物と帝国』
種に振り回される人間の歴史
バジルの慈悲
『種蒔く人』のなかの植物
理草花
思想を食べる
吸水と酵素
血と土を超えて
◆第9章 「植物を考える」とはどういうことか
植物らしさの在処
完全菜食主義者の「植物中心主義」批判
植物の権利
植物の美
植物を食べること
スキン・プランツ
あとがき
藤原辰史
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)で日本ドイツ学会奨励賞、2013年、『ナチスのキッチン』(水声社/決定版:共和国)で河合隼雄学芸賞、2019年、日本学術振興会賞、『給食の歴史』(岩波新書)で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』(青土社)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、『カブラの冬』(人文書院)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『食べること考えること』(共和国)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『食べるとはどういうことか』(農山漁村文化協会)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)、『歴史の屑拾い』(講談社)ほか。共著に『農学と戦争』、『言葉をもみほぐす』(共に岩波書店)、『中学生から知りたいウクライナのこと』(ミシマ社)などがある。




