ことばの記憶: vol.1 いつか
「『いつか』ってどういうこと?」
そう聞かれてドキッとさせられた息子とのお風呂での一コマ。どこでそんな言葉を、といった類の単語でもなく、ともすると親の私たちが息子に対して『またいつかね』とその場と取り繕うように、この言葉を投げかけていたのかもしれない。そんな一瞬の思いも束の間、その疑問を受けて、自分から出てきた言葉にも少し驚いた。
「『いつか』は起こりそうで、でもしばらくは起こることはない時に使う言葉かな」
適当に自分の疑問があしらわれていないことを確認すると、息子は妙に納得したように「そうなんだね」と呟いた。
この『いつか』という言葉を使う時やその言葉を投げかけられた直後はその来るべき時を待ち望む期待感に心弾む思いだけれど、少し時間が経つとその『いつか』はきっと訪れないことが多いという現実がそこにはあり、『いつか』の言葉に含まれている意味以上の何とも言えない寂しさが漂ってくる。
20代から30代にかけて北欧を旅していた。頻度は多い時には2ヶ月に1度くらいのペース。そんなもんだから現地のカフェの店員にも顔を覚えられてしまうくらいだった。けれど2019年の旅を最後に結婚をしてコロナ禍となり、移住をし実店舗のショップをオープンし、息子が生まれて、といったように、自分自身の人生、家族との生活の重要な場面を全力で生きているうちに最後に旅をしてからあっというまに6年余りの月日が経ち、すっかり北欧からは足が遠のいてしまった。
6年も経てば色々なことが様変わりだろう。
先日お店にデンマークに行くからおすすめの場所を教えて欲しい、と尋ねて来たお客様がいらした。その方にあらかたおすすめの場所を教えたところで、いつも旅の最後に行っているレストランも伝えておこうと思った。
北欧を2週間ほど旅していると、麺類が特に食べたくなり現地のラーメンなども食べるのだけれど日本よりも高く味もそこまでというくらいならばと、割と欠かさず旅のシメ飯として行っていたベトナム料理屋。
日本じゃ滅多に食べることはないベトナム料理だけれど、そこのフォーはなぜだか旅の疲れた身体に沁み渡りいつも満たされるのだ。件の理由をお客様に話をしながらGoogle mapでお気に入りのピンを立てていたそのベトナム料理屋さんの場所を見てみると、そこにあるはずのものがない。6年もの間に何かの拍子で立てていたはずのピンが外れてしまったのかと、鮮明に覚えている街の区画をたどりながら見てみても、そこにはそれらしきものがなかった。もしかすると見ている場所が記憶違いかもしれないと思い、その場ではまた探しておきますなんてお茶を濁したのだが、改めて一人になったところでGoogle ストリートビューで確認したところ、あったはずの場所がみたことのない中華料理に変わってしまっていた。僕が行っていた時ですら味は美味しいけれど繁盛しているとは言い難い状況だったので、世情の変化や何か事情があってのことなのだろうが、『またいつか』来ようなんて思っていたお店やレストランがなくなるのは呆気なく突然なのだと、今となっては商売人の端くれとして痛感している。
『またいつか』なんて思っている場合ではないのだ。
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月に一度、面影 book&craftの店主はエッセイを、
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