「おとさん(お父さん)、キタキタ来た!」そう僕に呼びかけながら棚から引っ張り出してきた双眼鏡を手に、使い方のまだ分からないその覗き窓から見よう見まねで飛来してきた小鳥を眺める息子。ジョウビタキだ。山吹色のお腹のその小鳥の姿は、枯れ草に覆われ単色に染まった我が家の冬の庭には一際目立つ。
大きな開口部の窓の外の軒下には、木工作家の方から譲ってもらった薪割りのために置かれた大きな切り株と、薪割りの時に出た木片。そして丸太をチェーンソーで切った時に出た木屑が至る所に散乱している。ジョウビタキがここに来る理由はただ一つ、まるで鳥にとってのホームセンターかのように、巣作りにはもってこいのあらゆる素材がそこに在るのだから。ジョウビタキをよくよく観察してみると、毎回来るごとに持ち帰っているものは種類が異なる小枝や木屑など。その吟味している様子はまさしく我々の家づくりのプロセスそのものだった。
土地取得の関係で工事の着工までおおよそ1年ほど余裕があった我が家の家づくり。月に一度のペースで進めた設計の打ち合わせは毎回2時間から3時間じっくりと対話に重きが置かれていた。敷地面積の割には小さくコンパクトな住居スペースの中でどのような生活を営むことができるのか、イメージしてもなかなか実感として湧いてこない。実際に住んでみている訳ではないので無理もないのだ。
果たして居心地の良さ、ひいては生活の豊かさとは一体なんなのだろうか。家の概念や範囲も庭や畑を含めた敷地で考えると、どこまでが“家”といえるのかという大いなる問いを頼りに時間と空間を軸に未来を考え続けた日々だったように思う。けれどいくら考えても埒が明かない。ならば間取りや基本設計部分は極限にシンプルにし、詳細設計の中であらゆる素材というエレメントの掛け合わせで感覚的な居心地の良さを表現してみようという一つの解に落ち着いた。
お願いした工務店が建てる家の特徴はなんといっても無垢の唐松を使った床だろう。経年変化する中で、深みが増し味わい深くなってくる木の色や質感、そうしたベースがある中で仮にだが30年後の姿が完成だとした場合に参考になったのが、逆に現在から30年〜40年前に遡った戦後モダニズム建築。そして参考にしたのはその代表格ともいえる前川國男とその自邸。実際に足を運ぶと、その当時のあらゆる素材や造形がふんだんに使われ表現されており、今と時代が異なれど、どのような素材を組み合わせていけば普遍的な心地良さが表現できるのかという一つの指標として大いに役立った。
木には、唐松はもちろんブラックチェリー、ラワンをポイントで入れ、土壁の寝室には吉村障子で和によりすぎないように引き締め、鋳物の薪ストーブの炉壁には大谷石で仕上げる。20世紀初頭のモダニズム建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエが言った「神は細部に宿る」という言葉を信じ、戸棚の取手には抜かりなく真鍮の金物を設えた。工務店の方々をはじめ現場の職人さんたちには普段あまりやってこなかった設えやチャレンジなどを強いる形になった部分も多々あったが、前段の対話をじっくりと行なったことが功を奏し滞りなく着実に形になっていく様は実に圧巻だった。
自分が今表現できるだけのあらゆる要素を駆使して建てていただいた家。設計時にイメージしていた状況がリアルな存在として眼前に現れている。しかしだ。いざそこに住んでみるとイメージしていた心地良さとは程遠いことに気がついた。手探りの生活の中で自分の居場所がない、雨風を凌げる品の良いシェルターや箱、そんな心境がある一定期間続いた。その正体が一体なんなのかということを考えながら、住み続けていると時の流れがその最初の違和感を薄く透明なものへと次第に変えていってくれた。
そんな違和感も忘れてしまった頃に、信州の厳しい冬がやってきた。毎年半年もある寒い冬の時期をどう過ごすかということに懸案していたのだが、今年は高い断熱性能のある壁に囲まれ、かつ薪ストーブという大きな味方も手に入れたのだから心強い。
改めて薪ストーブを見てみると、これが非常に面白い。考えてみたら私たちの生活の中で使用するものの大半は電気に頼ったデジタル製品に溢れている。湯船にお湯を沸かすための給湯器、加熱調理するための電子レンジ、食材の新鮮さを保つための冷蔵庫なんかも全てが電気につながってその役割を全うしている。そしてどうしてそれらが駆動しているのかと聞かれれば、言葉を濁すほかない。かたや薪ストーブはどうだろうか。鋳物でできた躯体とそれに繋がれた煙突がついているだけとも見て取れる。よし使うぞ!とこちらが腰を上げない限り、ただのオブジェと化してしまう。言ってしまえば、それだけの箱と筒の構造物なのだが、その中に薪を焚べ、マッチで火を灯すとオブジェだったものの中にエネルギーと熱が発生するのだ。アナログな仕組みなのだがとてもシンプルで理解がしやすい。
その時、ある合点がいった。新居に住みはじめた当初は言うなれば自分がアナログの箱の中に入っただけで、薪ストーブにただ焚べられた木そのものの状態だったのだ。そこには燃えさかるための火種はなかった。しかし時が経てば否が応でもそこで生活を営まなければならない。日々のルーティーンであっても生きていくためのこの家のルールや動き、チカラの活かし方や加減が分かってきて、まさに薪に火が着火されたような状態になっていったのだった。
独立研究者の森田真生さんがとある記事の中で、幸福や豊かさの基盤を作るために人間ができることとして「手入れ」するという行為を挙げていた。例えば落ち葉を掃くとか、食器を洗うとかそういう誰しもがやっている行為そのものだ。きっとその行為をした翌日には、落ち葉を掃く前と同じような状態に戻っていたり、数時間後の次の食事でまた同様に食器がシンクに溜まったりと、一見何も生まないと思われる日々の「手入れ」にこそ自分とそれ以外の世界との接続点や関係性が生まれてくるきっかけになると論説されていた。思えばこの冬はチマチマと仕事の合間を見つけては薪割りをして焚き付けるための薪を作ったりしている。そんなもの数日で使ってしまうのにだ。それを他の人から見たらとても面倒くさい行為に見えるかもしれないし、大変さを憂う同情の声も聞こえたりもする。けれどそれを面倒くさいと放り出してしまっては、便利さということと引き換えに生きる活力、つまり「生活」を誰かに明け渡してしまうことに他ならないのではないだろうか。
こんな施主はいなかっただろうに、建て方の前段階の敷地の造成工事から現場に入らせてもらい、造成工事の傍で新居の前の敷地での畑作りに入らせてもらった。ある種、畑の造成工事でもある。上棟式ごろに播種したジャガイモは引き渡し前には収穫し、秋にはハーブを、そして晩秋にはさつまいもなどの多くの作物の収穫にありつけた。庭の畑で収穫したものをその場で食べられる豊かさを今では堪能している。こうした一つ一つの「手間暇」や「手入れ」が毎日の中で新しい発見と共に螺旋状へと繋がっていき、全てがここにあるという感覚が具体化して日々が続いていく。大袈裟に言えば、忘れていたいのちの舞台にもう一度自分が立たせてもらっているような、そんな感覚ですらある。
建物は生活が伴わないと家にならない。
生活はどこまでも広くそして深い。
全てはこの家ができたからこそ気づけた生きる活力ということ。
30年後の完成に向けて生きる活力という火を焚き続けていきたい。
庭に来たジョウビタキの別名が“火焚”というのもただの偶然ではなさそうだ。