ことばの記憶:vol.13 ダイアリーと冒険

 新年というのはとても退屈なものだ。自分自身が何もすることがなくて退屈というのはもちろんのこと、世の中が止まってしまったような怠惰な停滞感がなんとも言えず、三が日が過ぎれば、毎年世に対して腹立たしい気持ちに包まれていく。今年はそんな嫌な気持ちを払拭すべく、元旦の1月1日からダイアリーをつけ始めた。日々の日記というよりも、毎日の出来事を通じて気づいたことをちょっとした文章にしてみるという行為で、それはパソコンやスマートフォンを使ったタイピングではなく、ノートにLAMYの青いインクの万年筆を使って毎日5行程度を手書きで書いている。


 というのも、今年の初詣に信州・上田周辺ではまあまあ大きい生島足島神社の諏訪社の前で手を合わせた時に何故だか「透明」という感覚を得た。言葉としてそれが降りてきたとでもいえば、聞こえがいいのだが、実際には胸の中の靄が晴れていくような透き通ったものが胸の中を通過していくように感じたのだった。そんなこともあり、今日の気持ちは明日に持ち越さないぞ、という気概で続けられるまで続けてみようかと一日一日自分がその時に感じたことをノートに記しているおかげで、すっきりとした気持ちで毎日寝床に入っているので、考えすぎてしまう方にはぜひおすすめしたい習慣だ。

 改めて、約1ヶ月間のダイアリーを眺めてみると、人との接し方について色々と考えるべきことが多かったひと月だったのだなと客観的に振り返ることができた。人付き合いの善し悪しというそういった類のことではなく、自分の世界とそれ以外の世界をどのように捉えていくかといった方が正しいのかもしれない。
 というのもお店で紹介する本として、極地探検家の角幡唯介さんの「新・冒険論」という本に昨年末に出合ったことがきっかけだった。内容はぜひ手に取ってもらって欲しいのだけれど、端的にいうと現代では未開の地への冒険というのは皆無で、これからは自分自身が持っている枠組みや頭の中で今までの人生で積み重ねて構築されているシステムの外側に自分自身を置くことによる冒険を提唱している本。これを読んでみて確かに自分は社会的にも個人的にも予定調和の枠組みの中で精一杯生きていたなと改めて省みたのだ。この新たな冒険の主体や基準はあくまで自分になり、行ったことが誰かにとっては既知なことで再発見なのかもしれないけれど、自分にとってはそれが新発見であればそれは自らの冒険になっていくという考えだ。
 そんな気持ちでこのひと月の期間はいつも以上に増して色々な方たちと顔を合わせ、言葉を交わすことが多く、そしてこの冒険という切り口を自分の中に仕込ませておくことで、一日一日をフォーカスすれば上がったり下がったりの気持ちのバイオリズムは勿論あるものの、総じて新たなものの見方、つまり僕にとっての新発見が多い1ヶ月となった。

 このダイアリーと冒険のおかげで退屈しない1月を過ごせた。

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