新居格 随筆集: 散歩者の言葉 / 著者・新居格、編集・荻原魚雷 / 虹霓社
歩みを進める言葉
どこまでも、どこまでも歩いていればいつかは辿り着くものだと信じています。なので旅先などでは特に歩くことを意識しています。かかる時間や労力などを考えてみれば、公共交通機関などを使うのが効率よく確実なのはわかっているのですが、見知らぬ土地と身体が長く接しているのは、やはり歩くというのに限ります。
こうしたスタンスは単に歩行ということだけではなく、さまざまな思考にも影響を及ぼしているようで、地道に“歩み”を進めていればいつかは辿り着くのだろうと、物事を諦めないということにも繋がっているように思います。そうした散歩者的な思考は文字通り地に足がついているようで、自分にとってとても親近感が湧いてきます。
この批評家の新居格さんの随筆を読んだ時に、まさにこの地に足がついている人の文章なのだと感じました。戦後初の杉並区長として知られる新居格。著作リストが作れないほど多くの随筆や評論、批評を遺したものの、代表作と呼ばれるような作品もなく、『杉並区長日記』(弊社刊)と翻訳書(パール・バック『大地』等)を除いて新刊で読める本はありません。
アナキストを自称し、議論を嫌い、知識人や文化人と呼ばれることを恥じ、戦時中も市井の人々や日々の生活を大切に生きた新居。そんな新居と同じく、散歩と読書をこよなく愛する高円寺の文筆家・荻原魚雷が、時に弱音や愚痴をこぼす彼の随筆を厳選、今の時代に蘇らせる。42の随筆と1つの詩を収めた名随筆集が本書です。
本文表記は新漢字、旧かなづかいと現代の文章に読み慣れていると、はじめは面を食らうかもしれません。けれどこれも散歩のごとく読み進めて慣れてくると、新居という人柄が伝わってくるはずです。
名随筆、ここにあります。
「注文に応じて書いてきたような短文は後世に残りにくい…没後もずっと読み継がれるような作家なんて、文学史の中でも一握りしかいない。だけど、一握りからこぼれた作家にも素晴らしい文章を書く人はいる。新居格もそのひとりであろう。」
(荻原魚雷・編者解説「高円寺の新居格」より)
新居格
1888(明治21)年、徳島県板野郡(現鳴門市)生まれ。東京帝大卒業後、読売や東京朝日などの新聞記者を経て文筆生活へ。個人の自由を重んじるアナキズムの立場から文芸評論や社会批評を論じる。パール・バック『大地』やジョン・スタインベック『怒りの葡萄』等、多くの翻訳も手がけたほか、「左傾」「モボ」「モガ」など時代の流行を上手く捉えた造語も生み出した。戦後は初の公選杉並区長や生活協同組合の理事長を務めるなど、市井の人々や日々の生活を大切にした。1951年逝去。享年63。主な著書に『季節の登場者』『アナキズム芸術論』『生活の錆』『女性点描』『生活の窓ひらく』『街の哲學』『心の日曜日』『市井人の哲学』『杉並区長日記』など多数。
1969年、三重県鈴鹿市生まれ。文筆家。著書に『中年の本棚』『古書古書話』『日常学事始』『本と怠け者』『古本暮らし』ほか、編者をつとめた本に梅崎春生『怠惰の美徳』『吉行淳之介ベスト・エッセイ』尾崎一雄『新編 閑な老人』富士正晴『新編 不参加ぐらし』などがある。