翻訳する私 / 著者・ジュンパ・ラヒリ / 新潮クレストブックス
アイデンティティの扉
日本に住んでいると言語的なマイノリティーな状況に陥ることはごく稀だ。方言の強い地方や年配の方達同士が話す輪の中に入った時などに感じることもあるのだが、海外に旅をしている時には、明らかなマイノリティーな状況が生まれる。
特にそのコミュニティの中に深く入り込もうとすればするほど、彼ら、彼女らの前にはいくつもの“扉(ドア)”が立ち塞がっている。こうした言語の壁を“扉(ドア)”という単語で表現したのが本書『翻訳する私』の著者でもあるジュンパ・ラヒリだ。ベンガル人の両親のもとロンドンで生まれ、アメリカで育ち、大人になってからイタリア語の小説を書くほどイタリア語を修得した彼女。こうした生い立ちや半生の中でひたすらにさまざまな言葉と向き合ってきた彼女ならではの表現だったのだろう。自分自身も経験のあるその壁はまさしく“扉(ドア)”であり、それを開き、一歩歩みを進めれば、いくらその“扉(ドア)”の反対側に戻ったとしても、“扉(ドア)”を開ける前の感覚には戻ることはない。母語以外の言語を修得しようと試みた、もしくは異国で生活をしたことのある方ならなんとなく共感してもらえる感覚を彼女は最も簡単に言語化しているのだ。
ベンガル人の両親のもとロンドンで生まれ、アメリカで育った著者は、幼い頃から自らや家族のことを、頭のなかで常にベンガル語から英語に「翻訳」してきた。大人になってから習得したイタリア語に見出した救い、母の看取りなど、自身の半生をひもときながら綴られる、小説を書くことを鼓舞してくれる「翻訳」について考えたことがまとめられた一冊。
この一冊を読み終えた頃には、自分のアイデンティティと言葉の関係について考えてみたくなるはずだ。
<目次>
序文
1 なぜイタリア語なのか
2 容器 ドメニコ・スタルノーネ『靴ひも』の訳者序文
3 対置 ドメニコ・スタルノーネ『トリック』の訳者序文
4 エコー礼讃 翻訳の意味を考える
5 強力な希求法への頌歌 自称翻訳家の覚え書き
6 私のいるところ 自作の翻訳について
7 代替 ドメニコ・スタルノーネ『トラスト』への「あとがき」
8 普通の(普通ではない)翻訳/Traduzione(stra)ordinaria グラムシについて
9 リングア/ランゲージ
10 外国でのカルヴィーノ
あとがき 変容を翻訳する オウィディウス
謝辞
初出一覧
訳者あとがき
▼Tawada Yoko 多和田葉子
「英語で執筆するインド系アメリカ人? ああ、そうですか」と人々はあまりにも簡単に納得してしまう。英国の元植民地に祖先を持ち、英語中心の大国アメリカの住人だから彼女は当然英語作家だ、と簡単に納得し、いつの間にか歴史や政治の押し付けてくる運命を肯定し、文化の真の多様性への驚きを忘れがちな私たち。個々のエクソフォニー体験には、接木みたいなゴツゴツとした手触りがあるはずだ。小説『その名にちなんで』で、したたかでチグハグな移民の生き様を見事に描いた作者が今、英語の外に出る静かな革命を企てた。
▼Chicago Review of Books シカゴ・レビュー・オブ・ブックス
著者が自己翻訳について重ねる思考に、つい引き込まれそうになる。……翻訳のみならず広く文芸批評へのラブレターとして読めるだろう。
▼Harper's Bazaar UK ハーパーズ・バザーUK
言葉があって自身を知る。その知識はいつでも拡大可能であるのだとわかる。
▼The Sydney Morning Herald シドニー・モーニング・ヘラルド
作家・翻訳家としてのラヒリの原動力は何なのか、その両面(二つの「容器」でもある)から、どのように啓発され、刺激されて、自己の再創造にいたるのか。そんな発見の旅に、読者もどっぷり漬かることになる。
ジュンパ・ラヒリ
1967年、ロンドン生まれ。両親ともコルカタ出身のベンガル人。2歳で渡米。コロンビア大学、ボストン大学大学院を経て、1999年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞、同作収録の『停電の夜に』でピュリツァー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞ほか受賞。2003年、長篇小説『その名にちなんで』発表。2008年刊行の『見知らぬ場所』でフランク・オコナー国際短篇賞を受賞。2013年、長篇小説『低地』を発表。家族とともにローマに移住し、イタリア語での創作を開始。2015年、エッセイ『ベつの言葉で』、2018年、長篇小説『わたしのいるところ』を発表。2022年からコロンビア大学で教鞭を執る。