プロジェッティスタの控えめな創造力:イタリアンデザインの静かな革命 / 著者・多木陽介 / 慶應義塾大学出版
手応えのあるもの
大学四年の卒業旅行。サッカーサークルのメンバーとバルセロナ、ローマ、パリを1週間ほどで周遊する旅をしていた。旅の中盤のローマで僕たちは少し退屈していた。サッカーサークルということもあり、お目当てのセリエAのローマvsパルマの試合でローマの英雄・フランチェスコ・トッティがPKを決めて辛くも勝った試合を見終わり、その高揚感を抱いたまま立ち寄ったイタリアの食堂でカルボナーラを食べている時にローマを離れてフィレンツェに日帰りで遊びに行こうと決めた。
フィレンツェはローマに比べるとコンパクトな街で、おかしなことにローマより古き良きイタリアを感じることができた。旅の土産に何か持って帰りたかったので、オーダーメイドの革細工のコインケースを父の分と自分の分を二つ作ってもらおうと、気の利きそうな職人が営むショップを覗き、こんなイメージのものというのを見せ、作ってもらうことにした。おじさんは「見せてもらったものはきっとできない。だけどもっといいものを君に作ってあげよう。」と約束の時間にここに戻ってくるようにということだけを僕に言い残し、奥の工房に行ってしまった。
フィレンツェの街を一通り堪能した後、約束の時間にショップに戻ると、色違いの革を使った良いサイズ感のコインケースが二つ並んでいる。確かにイメージとしておじさんに見せたものよりもずっと洗練されていて、ある種の色気を感じることができた。
帰国の後、父にそれをプレゼントし、結局一つはボロボロになるまで使ってくれ、もう一つは自分用にと思ったけれど、改めてコインケースだけ別で使用するというスタイルに馴染めず、これもまた父にあげてしまった。
時が経ち、今そのコインケースは父の形見として僕が使っている。
確かな手応えとともに、未だその色気はものを通して伝わってくるから不思議なものだ。
さて、前置きが長くなってしまったが、本書『プロジェッティスタの控えめな創造力:イタリアンデザインの静かな革命』を読んで、こんなエピソードを思い出してしまった。
イタリアには先に書いたように非常に腕の良い職人とデザイナーがいる。どちらにも共通するのが遊び心を持っているという点であろうか。
ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリ──
デザイン黎明期の戦後イタリアで建築家やデザイナーとして生きた彼らは、自らを「プロジェッティスタ」と称した。
人びとの暮らしに寄り添い、人間的なクリエイションに心血を注いだ探究者たちの理念と行動、そしてその継承可能性に迫っているのが本書。
私たちが機会的に、いや何か決まりきった正解を求めていく現代人が忘れてしまった何かを持ち合わせているはずだ。
そういえばイタリアサッカーには代々、ファンタジスタというとっぴなアイデアで置かれている状況を一気に打開してしまう役割、というか才能を持ち合わせた選手が時代に応じて出てくる。最近はそうした選手を見かけることがなくなってしまった。
今、社会に求められるのは、そうしたファンタジスタなのかもしれない。
<目次>
第1章 物の時代の終わり──世界から手を引いた人間の肖像
第2章 創造力の現在──危機的状況と可能性
第3章 「物」という歴史を繙く──物を言語として読みとる作り手たち
第4章 やることで理解する──包括的な知性/創造力の回復を目指して
第5章 根源への下降──技術至上主義からの脱却
第6章 20 世紀のブリコラージュ──未開社会起源の控えめな創造力
第7章 透明さへの衝動──控えめな創造力の中に蠢く合理主義の思想
第8章 「誘導の科学」というパンドラの箱──コミュニケーションの技術化の果てに
第9章 日本にもたらされたプロジェッタツィオーネ──城谷耕生の仕事
第10章 拡大された創造力論へ──自然を創造力の主体として受け入れる
多木陽介
批評家、アーティスト
1962年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科芸術学(演劇)専攻博士課程中退。1988年に渡伊、現在ローマ在住。
渡伊後は、演劇活動や写真を中心に各地で展覧会を行う。近年は自然・社会・精神のエコロジーを主題に、執筆・翻訳活動の他、展覧会の企画、刑務所内での文化活動、そして現代イタリアで「控えめな創造力」の実践者を訪ね歩く教育活動「移動教室」に取り組む。
著書に、『失われた創造力へ──ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉』(どく社、2024年)、『(不)可視の監獄──サミュエル・ベケットの芸術と歴史』(水声社、2016年)など。
訳書に、アンドレア・ボッコ『バーナード・ルドフスキー──生活技術のデザイナー』(鹿島出版会、2021年)、アンドレア・ボッコ、ジャンフランコ・カヴァリア『石造りのように柔軟な──北イタリア山村地帯の建築技術と生活の戦略』(編訳、鹿島出版会、2015年)など。