体の贈り物 / 著者・レベッカ・ブラウン、翻訳・柴田元幸 / twililight
ケアする者とされる者
6年前、実の父を看取った。2年くらいガンの闘病生活をしていたのだが、最後の1ヶ月以外は、ほぼ普通に会社に勤めに出ていた。病院の日だけ主治医の先生の説明を一緒に聞くために待ち合わせて、診察や治療が終われば、じゃあまたと言い、父は会社へ僕はその当時拠点にしていた表参道に向かって別れた。だから看病という看病をしていないけれど、なるべく一緒にいてあげたいとその時は思っていた。
入院している時は、ベッドに横たわる父に体を労わる言葉をかけるわけでもなく、丸のパイプ椅子に腰掛け、読みたい本をどっさりと持ち込み、ただひたすらに活字に溺れ、読み老けた。父が近い未来にこの世からいなくなってしまうという現実を受け入れられなかったのだと思う。そして一緒にいてあげたいとそこにいる理由づけをしていたけれど、本当は自分が父と同じ空間に居たかっただけだったと、父なき今思うのだった。
少しセンチな気持ちになってしまったので、切り替えよう。
本書『体の贈り物』はアメリカの作家、レベッカ・ブラウンの代表作。エイズ患者とホームケア・ワーカーの交流が描き出す、悼みと希望の連作短編の一冊。日本では伝説の雑誌『オリーブ』で掲載されたことでそこで連載がスタートし、新潮文庫で文庫化されたのだがのちに廃盤。本書がその復刊というわけだ。
逃れようのない死の前で、料理を作り、家を掃除し、洗濯をし、入浴を手伝う。
喜びと悲しみ、生きるということを丸ごと受け止めた時、私は11の贈り物を受け取った。
エイズ患者とホームケア・ワーカーの交流が描き出す、悼みと希望の連作短篇。
著者書き下ろし「『体の贈り物』三十年後」を収録。
金井冬樹の装画による新装版。
死を目の前にした人の側でしかわからない感覚、そしてそれをケアする人でないと知り得ない感覚がある。この本のページを捲るたびに自分が父をケアしていた、いや父からケアされた日々、いや贈り物をもらった時間を少し思い出してしまった。
あなたにもそんな経験あるのではないだろうか。
“横溢するケアに包まれました。ホームケアワーカーの「私」が派遣されるのは死の恐怖に向き合う患者たちのところ。ケアする側が彼ら、彼女らの生を“尊重されるべきもの”として丸ごと抱擁するとき、曇っていた生がみるみる輝きを取り戻していく。まさに奇跡のような贈り物。”
小川公代
<目次>
汗の贈り物
充足の贈り物
涙の贈り物
肌の贈り物
飢えの贈り物
動きの贈り物
死の贈り物
言葉の贈り物
姿の贈り物
希望の贈り物
悼みの贈り物
謝辞
『体の贈り物』三十年後
二〇二五年版訳者あとがき
レベッカ・ブラウン
1956年ワシントン州生まれ、シアトル在住。作家。翻訳されている著書に『体の贈り物』『私たちがやったこと』『若かった日々』『家庭の医学』『犬たち』、ナンシー・キーファーとの共著に『かつらの合っていない女』がある。『体の贈り物』でラムダ文学賞、ボストン書評家賞、太平洋岸北西地区書店連合賞受賞。
柴田元幸
1954年生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者。
ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、スティーヴ・エリクソン、レベッカ・ブラウン、バリー・ユアグロー、トマス・ピンチョン、マーク・トウェイン、ジャック・ロンドンなど翻訳多数。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、『メイスン&ディクソン』で日本翻訳文化賞、また2017年に早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。
文芸誌『MONKEY』(スイッチ・パブリッシング)責任編集。