吉阪隆正 地表は果して球面だろうか / 著者・吉阪隆正 / 平凡社
未来への啓示
時代が過去から現在、そして未来へと変化していく中で揺るぎない事実として、この地球で生きているということ、そして私たちはいつの時代も暮らしを営んでいるということに尽きると思う。
狩猟採集の時であっても狩で採ったものをどこかに持ち運び、それを集団で解体し食す。農耕が普及し始めても何かの収穫物を家に持ち帰り調理して食べるということは行われていた。きっとデジタル化が今以上に発展していった未来でさえも私たちの根本の暮らしの営みの本質は変わらないことだろう。
こうした本質を捕まえて形づくっているのが世に云う建築家ということなのかもしれない。未来に向かう時間のベクトルの中で、その中を生きる我々が行なっている通奏低音を感じ取り、それらを表現していく未来預言者のような、なんとも不可思議な職業なのだ。このように未来にベクトルを向けた中、感じたことはそれこそ未来に対して普遍的に通じることを、時に厳しく痛みを伴いながら、啓示の如く我々に指し示してくれるはずだ。
本書『吉阪隆正 地表は果たして球面だろうか』はまさしくそんな一冊に仕上がった建築エッセイ集だ。ル・コルビュジエの弟子として日本にモダニズム建築を浸透させ、文明批評家・登山家・探検家としても知られた建築家・吉阪隆正が見つめた未来への言葉を一冊にまとめた内容になっているのだが、「自然のまま、自然の木材をつかった住宅が再び登場するだろう」といったことを今から60年以上も前に言い切っていて、まるで今の世の中を見透かされているような感覚を覚えることだろう。
こうした金言とも言える一つ一つは我々がこれから未来に向かっていく中で良い意味でお灸を据えてくれるはずだろう。
<目次>
三つの建築家像
コンクリート壁の表情
木造住宅の現代性?
都市住居論
環境工学とは何か
硬い殻軟かい殻
木の文化
自然、何を自然というのか
ファサードについての断章
地表は果して球面だろうか
不連続統一体の提案
有形学へ
あそびのすすめ
好きなものはやらずにいられない―生きるか死ぬか生命力を懸けて
人生は賭けの連続
私の住宅論
『ある学校』
吉阪隆正
1917~80。建築家。1917(大正6)年2月13日、東京市小石川区(現文京区)に、父俊蔵(官僚)、母花子の長男として誕生。父母とも先祖は学者の家系で知られる箕作家。20年、国際労働機関設立のため父が赴任したスイス・ジュネーヴへ。23年帰国し、暁星小学校に入学。大久保百人町(現新宿区百人町)に居住、日本では生涯その地に住む。29年、再度ジュネーヴへ。思考と環境の多様性を尊ぶ思想の基礎は海外生活で培われた。33年帰国。早稲田高等学院を経て早稲田大学建築学科卒。大学の師は考現学者の今和次郎。47年、30歳で母校の助教授に(59年に教授、69年に理工学部長)。50年、フランス政府給費留学生として渡仏、ル・コルビュジエのアトリエで働く。帰国後建築家としての活動を本格化、56年竣工のヴェネチア・ビエンナーレ日本館は、戦後日本のモダニズム建築の出発点と言われ、芸術選奨を受賞


