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PARK STUDIES:公園の可能性

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PARK STUDIES:公園の可能性 / 著者・石川初 / 鹿島出版会




生活と記憶を繋ぐもの




小さい頃は本当によく公園に遊びに行っていた。物心ついた時に住んでいた団地の隣には『なかよし公園』があり、初めて逆上がりが出来たのもこの『なかよし公園』だ。そして幼稚園に向かう道すがら『お山公園』という幾つもの丘が連なる公園を抜けて通った。そして幼稚園の友達の家の近くには『いちご公園』があったし、小学校の傍には『さくら公園』があり、シンナーでラリった高校生なども交えながら、砂場にビー玉を転がすコースを作りバトルする遊びが当時大流行りして、高校生たちにビー玉を巻き上げられまいと必死に小学校で作戦会議をして挑んだものだ。今考えると、腕力で高校生たちが対峙してこなかったので、不良とはいえ根本のところは健全だったのだろう。

そんなこんなで自分の幼少期は本当に公園に囲まれた生活をしていたように思う。というか家にいた記憶がほとんどなく、四六時中公園で友人たちと時間を過ごしていた。

信州・上田に移住をしてさらに子どもが生まれると、自分が味わった公園ライフ的なものに再会できるものと期待したものの、実情は大きな公園はあるものの、徒歩圏内にあるいわゆる滑り台、ブランコ、砂場、鉄棒といった街区公園がことごとくないことに気づく。それはとても残念なことなのかもしれないけれど、時代が変わってきたのだろう。そんなことを思っていた時に手に取ったのが本書『PARK STUDIES:公園の可能性』だった。

本書はランドスケープアーキテクトの石川さんが、いわゆる自分たちの馴染みのある街区公園と現代社会における公園の役割の変化や価値について18のエッセイとしてわかりやすくまとめてくれている。



「公園は不思議な施設である。公園は憩いや休憩のために設けられる。それはたしかに私たちの生活を豊かにするが、公園だけがあっても生活は成り立たない。公園はあくまで街の活動を補完するためのものである。しかし、だからこそ公園には、公園を取り巻く社会や時代が求めるものが写し絵のようにあらわれる。公園でひと休みしつつ、また街へ戻るまでのつかの間、公園に求めるものを通して私たち自身についても考えたい。」(本文より)



新「公園の三種の神器」、再発見された「街区公園」、好ましい公共トイレ、禁止しないサイン、樹木のもたらす「時間の厚み」、生きている「欲の細道」、公園の「決まる形」と「つくる形」、「公」を担いうる「園」、「公開空時」、「他者のための公園」……18のエッセイで「公園的な風景」を巡る。



公園の役割が変わったとて、いつの時代も記憶と結びつく時を重ねられる場であって欲しいと切に願いたい。



<目次>


まえがき


第1章 都市のなかの公園

都市の庭になりつつある公園

解放区としての街区公園

屋上という気候


第2章 公園の記号と性能

みんなの公園、わたしのベンチ

トイレの矛盾と形

禁止サインから禁止しないサインへ

遊具という象徴


第3章 自然との対峙

オープンスペースとしての水面

雑木林の風景

樹木がもたらすもの

表層の自然


第4章 公園のなかの造形

「欲の細道」ディザイア・パスの風景

光の風景

田園風景の子孫たち

公園の形


第5章 公園の公共性

「公」を担いうる「園」

「公開空時」暫定利用の空地の可能性

追悼の風景、他者のための公園


初出および参考文献

あとがき

Credit

Profile




石川初

ランドスケープアーキテクト/慶應義塾大学環境情報学部教授、博士(学術)。

一九六四年京都府宇治市生まれ。東京農業大学農学部造園学科卒業。鹿島建設建築設計本部、Hellmuth, Obata and Kassabaum Saint Louis Planning Group、ランドスケープデザイン設計部を経て20154月より現職。外部環境のデザインや地図の表現、地域景観などの研究・教育を行っている。著書に『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』(LIXIL出版、2018年。2019年度造園学会賞著作部門)、『ランドスケール・ブック』(LIXIL出版、2012年)、『今和次郎『日本の民家』再訪』(瀝青会として共著、平凡社、2012年。日本建築学会著作賞、日本生活学会今和次郎賞)など。

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