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イサム・ノグチ エッセイ

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イサム・ノグチ エッセイ / 著者・イサム・ノグチ、翻訳・北代美和子 / みすず書房




思索の彫刻




現地の北欧のクリエイターたちへのインタビューの際に、よくその方たちの家に泊まらせていただくことがあった。突然の来客にも関わらず素晴らしい一部屋用意してくれることもあれば、ある陶芸家のところでは作陶仕掛かりで乾かしている部屋の中に無造作に置かれたお昼寝用のベッドを貸してくれ寝返りもろくにできない謎の緊張感を味わったこともあった。けれどそれが一部屋であろうとソファーのスペースであっても貧乏旅行とさほど変わらない自分にとっては、本当にありがたい状況だった。
その感謝の意を示すためにも欠かさなかったのが、手土産だ。それが宿泊までさせてくれるというならば、ちょっと良いものかつ北欧ではなかなか入手が困難なものだと良いと思い、その当時今よりも1/3の価格で流通していたイサム・ノグチのAKARIのランプをプレゼントしていた。自分が北欧を飛び回っていた2010年代後半は世界的にもAKARIのランプが再評価されている時期と重なっており、お膝元であるはずの日本ではまだ気がついている人が少ない状況だったことも功を奏した。実際には日本のコンセントプラグが付いたままなので、多少の電気工事が必要になるのだが、家一軒を自分一人で建ててしまうことも容易にこなす北欧の方たちにとってはそんなことは朝飯前で、とても喜んでくれたことを思い出す。
だから僕にとってイサム・ノグチは北欧と自分を繋ぎ止めてくれている大切なデザイナーであり彫刻家なのだ。


さて、本書『イサム・ノグチ エッセイ』はそんなイサム・ノグチがしたためた渾身のエッセイが一冊にまとまっている。彫刻にオブジェクト、さらには和紙を使った照明、そして庭園とさまざまな素材やフィールドの中で活躍したイサム・ノグチだが、その奥底にある哲学をこの一冊の中から読み取ることができるはずだ。


「子ども時代以来ほとんど忘れかけていた身近な自然の再発見。大人として自然をふたたび知るため、自分の手を自然の泥のなかで疲れさせるためには、人は陶芸家あるいは彫刻家でなければならず、それも日本においてでなければならない」


種々の素材による彫刻作品にくわえ、ユネスコ本部庭園、ビリー・ローズ彫刻庭園、

チェース・マンハッタン銀行プラザ・サンクンガーデンなど自作解説からコンスタンティン・ブランクーシ、バックミンスター・フラー、マーサ・グレアム、北大路魯山人、ルイス・カーンの思い出まで。

「グッゲンハイム奨学金申請書」「近代彫刻における意味」「彫刻家と建築家」

「平和の庭」「新しい石庭」「エルサレムの彫刻庭園」「悲劇『リア王』、舞台装置家のノート」「作品集『ノグチ』序」「日本の《あかり》ランプ」ほかエッセイ25篇、インタビュー3篇。


世界的彫刻家が石を彫るその手で紡いだ思索の軌跡。図版多数収録。


<目次>

I 彫刻について

グッゲンハイム奨学金申請書

彫刻のなにが問題か?

ジョージ・ガーシュウィンを語る

14人のアメリカ人展

諸芸術の再統合に向けて

近代彫刻における意味

作品集『ノグチ』に寄せて

「プリミティヴ」と呼ばれる「アート」

完全芸術家

彫刻家と建築家


II 庭園とランドスケープについて

平和の庭――パリ・ユネスコ庭園

新しい石庭

エルサレムの彫刻庭園

彫刻である庭園


III 劇場とダンスについて

悲劇『リア王』、舞台装置家のノート

マーサ・グレアムとのコラボレーション


IV 日本について

日本で展示した最近の作品

日本でのプロジェクト

作品集『ノグチ』序

日本の《あかり》ランプ

『日本建築の根』英語版まえがき


V 師とコラボレーターについて

ブランクーシを語る

バックミンスター・フラー――40年間の思い出

マーサ・グレアムへのトリビュート

魯山人、陶芸家にして料理人

ルイス・カーンについて


VI インタビュー

キャサリン・クーとの対話

アーティスト、自身の言葉で語る ポール・カミングスとの対話


年譜

訳者あとがき

初出一覧




イサム・ノグチ
1904年、ロサンジェルスに生まれる。父は日本の詩人・野口米次郎、母はアメリカの作家レオニー・ギルモア。1907年、母とともに来日、幼少期を日本で送る。1917年、単身渡米、高校卒業後はニューヨークにてコロンビア大学医学部に籍を置きながらレオナルド・ダヴィンチ美術学校夜間コースに通う。1927年、パリに留学してコンスタンティン・ブランクーシに弟子入り。1929年、ニューヨークに戻り彫刻家としての道を歩みはじめる。

以来、粘土、石、木材、金属など種々の素材による彫刻作品にくわえ、庭園・公園、パブリックアート、遊具、舞台装置を制作。またノグチ・テーブル(ハーマン・ミラー社1947)、ロッキングスツール(ノール社1954)をはじめインテリアデザインも多数手がけ、1952年よりオゼキで製造を始めた照明《あかり》シリーズは200種以上におよぶ。1969年、香川県高松市牟礼に住居と作業場(現イサム・ノグチ庭園美術館)を構え、日本での終生の拠点とする。

1985年、ニューヨーク、ロングアイランド・シティのイサム・ノグチ庭園美術館開館。

1988年没。

作品にAP通信社ビル《ニュース》(1940)、ユネスコ本部庭園(1958)、チェース・マンハッタン銀行プラザ・サンクンガーデン(1964)、ビリー・ローズ彫刻庭園(1965)、マリン・ミッドランド銀行プラザ《赤い立方体》(1968)、シアトル美術館《黒い太陽》(1969)、ストーム・キング・アートセンター《桃太郎》(1978)、《カリフォルニア・シナリオ》(1982)、ベイフロント・パーク《チャレンジャー・メモリアル》(1988)、日本での作品にリーダーズダイジェスト東京支社庭園(1951)、慶應義塾大学「新萬來舎」庭園・談話室(1952)、広島平和大橋・西平和大橋欄干《つくる》《ゆく》(1952)、大阪万博「夢の池」噴水群(1970)、イサム・ノグチ庭園美術館《エナジー・ヴォイド》(1972)、草月会館ロビー《天国》(1977)、土門拳記念館庭園(1983)、モエレ沼公園(2004)などがある。

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