自分の時間へ / 著者・長田弘 / 筑摩書房
小さく大きなこと
他人から教わることももちろん大切だと思うのだけれど、それよりも自分の中で確信を得た気付きや発見などを大切にした方がいいと常々思っている。
だから時たま、一人になる時間が必要なのかもしれない。特に旅などは顕著だろう。今までのいくつかの旅を思い浮かべてみても、その記憶の中の旅の輪郭がはっきりとしている方といえば一人旅をしている時の方なのだ。
例えばチェコのチェスキークルムロフまで小雪舞う中、プラハのバスターミナルを出発し、車窓から眺めた田園風景。そしてその時にイヤホンから流れていたカーペンターズの歌声など今でもその時の温度を感じるくらいリアルに思い出すことができる。
その一つ一つが何の役に立つのかは今でもよくわからないけれど、自分の中での経験や確かなものを積み重ねていく、こうした小さなことが結果として自分の人生の中で大きな糧になっていくのだろう。それは決して直接的ではなく、感覚の中の励みといった具合に、どういうわけだかそれらは根拠のない自信の礎になるのだ。
さて、本書『自分の時間へ』は詩人の長田弘さんが自身の記憶を遡りながら書き残したエッセイ。
「自分の時間は、ほんとうは、他の人びとによってつくられているのだと思う」「後になっておおきな意味をもつことになることのおおくは、しばしば始めは、何でもない些細なことにすぎない」「得たものはつねに、失ったものに比例している」──。言葉と共に暮らし続けた詩人の記憶から静かに届けられる、自らの人生を生きていくための小さなヒントたち。
傑作エッセイ集。
【目次】
Ⅰ
敬三君のこと
立子山のこと
早稲田独文のこと
ゴーゴリの伝記のこと
早稲田通りのこと
上甲さんのこと
雑誌『現代詩』のこと
小田さんのこと
中村さんのこと
六月劇場のこと
ガリ版と夢のこと
スバル360のこと
鉄条網の刺のこと
パトリシアのこと
負けるが勝ちのこと
手わたされた言葉のこと
クリストファーさんのこと
テポストランのこと
渡辺さんのこと
甲賀流のこと
一緒にした仕事のこと
そのとき話したこと
鶴見さんのこと
井の頭線沿線のこと
カンチェーリのこと
三匹の猫のこと
Ⅱ
無音の音楽、見えない舞台
露伴のルビのこと
三冊の聖書のこと
戯れの二篇の詩のこと
岩波文庫のこと
野球と第一書房のこと
夏に読んだ本のこと
秋に読んだ本のこと
冬に読んだ本のこと
正月に読んだ本のこと
本のかたちのこと
本の色と本の服のこと
引用の力ということ
ホイットマンの手引きのこと
へそまがりの老人のこと
十冊のジョバンニのこと
不治の病のこと
all the wrongs of Man
詩人トゥルミ・シュムスキー
樽の中の哲学者のことなど
解説 辻山良雄
長田弘
1939年、福島県福島市生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒業。詩人。65年、詩集『われら新鮮な旅人』でデビュー。98年『記憶のつくり方』で桑原武夫学芸賞、2009年『幸いなるかな本を読む人』で詩歌文学館賞、10年『世界はうつくしいと』で三好達治賞、14年『奇跡―ミラクル』で毎日芸術賞をそれぞれ受賞。また、詩のみならずエッセイ、評論、翻訳、児童文学等の分野においても幅広く活躍し、1982年、エッセイ集『私の二十世紀書店』で毎日出版文化賞、2000年『森の絵本』で講談社出版文化