動いている庭 / 著者・ジル・クレマン / みすず書房
自然に合わせる
自然農をしていると不思議なことが起こる。セイタカアワダチソウが高くその他のチガヤなど厄介な宿根草だらけであった耕作放棄地も1年間ほど草を刈って敷くを繰り返して整理していくと翌年はメヒシバやオヒシバなどのもう少し穏やかな草が蔓延っていき、またその翌年となれば、オオイヌノフグリやホトケノザ、ハコベといった春の訪れを喜んでいるかのような植物が繁茂していく。何も一年ごとに特別なことを施しているわけではない。けれど土の中の環境が次第に変わっていくことで
元々その場所の土の中に入っていた植物たちの種が自分たちの生育環境に適した際に発芽し、一生を謳歌しているというわけなのだ。その変化のプロセスを年数を重ねて観察していると本当に見違えるくらい風景が変わっていくのが面白く、それはまるで大地が呼吸をし、動き続けているような感じとして受け取ることもできるのだ。
さて、そんな日々を過ごしているとこの本のタイトルに手が伸びてしまうのも必然だろう。その一冊は『動いている庭』。庭づくりの実践に導かれた大胆な環境観が思想・建築・芸術分野にも刺激を与えているフランスの庭師ジル・クレマンの代表作。
できるだけあわせて、なるべく逆らわない――これが現代造園の世界に新たな一ページを開いた庭師、ジル・クレマンの哲学である。
荒れ地での植物のふるまいをモデルとし、土地を土地のダイナミズムにゆだねつつ、
植物を知悉する庭師の手によって多彩で豊かな進化をうながすプロジェクト、それが「動いている庭」だ。
クレマンは自邸である「谷の庭」で実験と観察を重ねながら、種の多様性、さまざまなエネルギーの混在、美が展開する庭づくりの技術と管理方法を見いだしてゆく。
クレマンにとって、庭は人が驚きと出会う空間、庭の仕事は夢の光景を創り出す営みだ。
だからここに収められた文章と写真は、夢を見るために試行錯誤をくりかえす庭師の、思索と実践の記録でもあるだろう。
その時々の環境や状況に合わせて、生命が生き生きと変化をしていく様はまるで私たち人間界のあるべき姿を見させられているかのように思えてしまう。
本書は、庭づくりの手引きを越えた、自然と人間お関係をめぐる叡智の宝庫である。クレマンの思想は、生命のゆらぎのなかに生きる私たちに多くの示唆をもたらすだろう。
雑草の種子が風や鳥、虫たちによって伝播して、思わぬ処に芽を出し、やがて風景を変貌させることがある。土地の様相は自然の営みや人間の働きかけによって、人々の喜び、驚き、憧れ、悲しみ、時には怖れなどを織り込むものとなるだろう。
ジル・クレマンは、「建物が建てられていない部分は、生物に満たされ、動きがある。それが庭の実質である」として、いかなる形にも定められない存在としての庭を夢み、「動いている庭」を見出した。それは「自然のなかに自分の存在の重要な一部分を再発見しようと求めている人々の、暗黙の要求に応えるもの」であり、変化の動きは庭の構想をたえず覆す。その過程で、庭師とその仲間たちが発見を積み重ねてきた「庭の技術、つまり風景をつくる技術と、それを維持する技術は、これから逃れようもなくやってくる多様性の衰退を未然に防ぐことができる」にちがいない。
そして「動いている庭」はどんな政治的プロジェクトに結びついていくだろう? 私たちはその土地土地の日常で「人と自然の関係の現実」という「庭」の中で、どうふるまっていくだろう?
– 田瀬理夫氏(造園家/プランタゴ代表)より、推薦のことば
<目次>
秩序
エントロピーとノスタルジー
奪還
荒れ地
極相
動いている庭
実験
ずれ
放浪
アンドレ・シトロエン公園の七つの庭
新たな動いている庭
動いている庭と共通点をもつ庭
野原
サン=テルブランのジュル・リフェル農業高等学校
動いている庭から惑星という庭へ
クレマン・ジル
1943年フランス、クルーズ県生まれ。庭師、修景家、小説家、植物にとどまらず生物全般についての造詣も深く、カメルーン北部で蛾の新種(Bunaeopsis clementi)を発見している。庭に植物の動きをとり入れ、その変化と多様性を重視する手法はきわめて特異なもの。現在、ヴェルサイユ国立高等造園学校名誉教授