ありふれたくじら / 著者・是恒さくら / ELVIS PRESS
人と鯨の物語
山々に囲まれた信州・上田に住んでいると、どうしても海や海の生物との接点が希薄になってしまう。
山の民が山や山に住む生物に信仰を寄せるように、海の民は海や海の生物との関わりや信仰が濃厚になる。
そんなことを気づかせてくれたのが本書『ありふれたくじら』による物語だ。
著者の是恒さくらさんは、国内外各地の鯨類と人の関わりや海のフォークロアをフィールドワークを通して探り、エッセイや詩のリトルプレス、刺繍作品を通して発表しているアーティストで、本書は2016年から2018年に発行したリトルプレス『Ordinary Whales / ありふれたくじら』の第一号から第五号をまとめたもの。
以前東京で勤めていた書店でこのリトルプレスを取り扱いしていて、私自身も好きだった冊子の合本版が出版されたとのことで、面影の本棚に置くことができることに喜びを感じながら並べている。
「本書では、さまざまな土地に暮らす人たちにとっての鯨の話を尋ねてまわる。そして綴った物語に刺繍を添えて、本を編む。やがては一枚のパッチワーク・キルトのように、本書がまだ見ぬ鯨のイメージとなり。世界を包むことができるように。」(本書冒頭のページより引用)
鯨という生物個体としての認識しかない方が多いかもしれない。
その個体の大きさゆえにアジやマグロといった身近な魚とはまた違う未知なイメージはあれど、そんな鯨を捕鯨し、生活の糧にしていた人たちがいる。
あるいは、鯨を人々の祖先とみなして信仰の対象とする人たちもいる。
鯨と共に暮らす、暮らしていた人の声を集め、まとめたのが本書だ。
民俗学的でもあるけれど、そこに紡がれているのは「人と鯨の物語」。
この物語を読むことで、私は海の世界に想いを馳せることができる。
鯨という存在を多面的に捉え直すことができる。
私がいる山の世界と本書の中の海の世界。
交わらないようで、どこかで繋がっている。
そんな世界の広がりを感じられるような一冊。
日英表記となっていて、刺繍作品は一冊をとおして眺める形に。
本文と刺繍作品と合わせてじっくりと感じてほしい。
目次
第1章 網地島
第2章 鮎川浜
第3章 ポイント・ホープ
第4章 牡鹿半島と太地浦、そのあいだの鯨
第5章 網走のカラス
第6章 神を食べる:唐桑半島
是恒さくら
1986年広島県生まれ。広島県拠点。
2010年アラスカ大学フェアバンクス校卒業。在学中はネイティブ・アート、絵画、彫刻を学ぶ。2017年東北芸術工科大学大学院修士課程修了。国内外各地の鯨類と人の関わりや海のフォークロアをフィールドワークを通して探り、エッセイや詩のリトルプレス、刺繡作品として発表する。リトルプレス『ありふれたくじら』主宰。2018年~2021年、東北大学東北アジア研究センター災害人文学ユニット学術研究員。2022年~2023年、文化庁新進芸術家海外研修制度・研修員としてノルウェーに滞在し、オスロ大学文化研究・東洋言語学科の研究プロジェクト「Whales of Power」に客員研究員として参加。2025年、国際芸術祭「あいち2025」に参加。