ことばの記憶:vol.9 三項関係
毎年、息子が通っている保育園では先生たちが全国の保育園事業者が集まる研修に参加しているようだ。研修の日は保護者の協力を得て、その日は希望保育スタイルになるため、親への協力のお礼と活動報告として、研修報告書なるものが数ヶ月すると各家庭に配られる。ほとんどの先生がA4一枚に当日体験したことや感じたことなどを手書きで書いた書類を束ねた印刷物なので、結構な分厚さになるのだが、年に一度のその配布資料を読むのが僕の密かな楽しみになっている。
妻からは「そんなに真剣に目を通している保護者はいない、悪趣味だ!」なんて失笑を買っているが、これが読み込むと面白いし多くの気づきがある。うちの保育園特有なアナログなスタイルで、自筆で書いていることもあって、内容云々もそうだけれど筆跡と先生の普段の様子を比べたりもするとその文体や使う言葉のチョイスなどで、その人らしさというものが浮かび上がってくるものだから面白い。皆、綺麗で読みやすくて驚きなのだが、やはり必然的に特にしっかりと読み込むのは我が子の担任の先生たちの文章。そこで面白いトピックがあった。
大まかにいうと0歳児から2歳児にかけて、どのように自分と自分以外の物事の関係性が育まれるか、というもの。研修の中では「二項関係」から「三項関係」へということがうたわれていたようで、親と子、もしくは先生と子という二項の関係から、その間に物やおもちゃが入ったり、友達が入ったりすることで共通する何かの認識が芽生え、初めて関係性が生まれるということであった。息子も3歳くらいになると、園庭をひたすら掘ったりする“工事”という遊びをみんなでやっているそうで、気がつくといつもの工事チームで集まって、今日はここの工事をやろうと張り切っているそう。息子のあだ名は工事のおっちゃん。
またこの時期の子ども特有の友達や親に噛み付いてしまうという行動ことが多々ある。うちの子は噛み付くよりも噛みつかれるというケースが多かったので、痛いだろうなという気持ちと可哀想だな、なんとか回避できないものかと思ったものだけれど、時がその一番の解決方法だということを今になって理解できる。けれど渦中の時はそうとも言っておられず、息子に「噛まれそうなら逃げろ!」など半分冗談でシミュレーション的に練習を行ない、そうは上手くいかないだろうとわかっていてもその回避方法を教えたりもした。
この噛むという行動がおさまる要因としては『言語の発達』が大半らしいのだが、その半分は学術的には『不明』となっているそう。けれど先にあげた二項関係から三項関係になった時に生まれる共通する何かが鍵になりそうな気がしてならない。自分とは違い他人との間に何か違いとはまた違う何かがそこに入り込む時にその状況を共にするという環境が生まれ、それに伴い感覚的な共感や信頼がそこに生まれ、仲間というか同士という感情が芽生えてくるからこそ、動物的で敵対した、噛み付くといった行動を取らなくなってくるのではないかと推察される。
この持論は後日この文章を書いた担任の先生とじっくりと話すことにして、この三項関係という考え方や物の見方は、何も幼児だけに限らず、私たち大人にとっても大切な視点なのだろう。そして間に入る物は物質的な物に限らず概念的な共通項が有効なのだ。
お店に立ち寄ってくださるお客様と雑談をしていると、さまざまな共通項が浮かび上がってくる。それは自分が育った地域に住まいを構えていたり、共通の知人がいたりなど多種多様で挙げればキリがない。こんなにも他人と共通なことが多いのかと驚く一方で、そうした共通項が見つかった時にこそ、お客様と店主という味気ない無機質な関係性から信頼できる関係性、もう少しエモい表現をするならば出会うべくして出会った関係性へと変容していくから面白い。
さらにその間に入る要素が体験、特に食を介した体験であればあるほどその関係性や絆は強くなっていくように思う。20代から30代にかけて旅をしていた北欧諸国の方々はそのあたりの勘所が鋭いのか、関係性を深めたい相手に対しては、どこか豪華で予約が取れないレストランやガストロノミーなどではなく、ホームパーティーなどに客人を誘い、自家製の何かでもてなすことを基本としていた。そうして経験した食の体験は今でも克明に思い出すことができる。春先のアスパラガスをシンプルに茹でてマスタードソースをかけて食べたあの夜や、久々の再会を祝ってオーブンでグリルしたディルの効いたサーモンなど、忘れることのできない味がそこにはあった。
嬉しいことに、息子の保育園では園舎の裏手に大きな畑があり、クラスごとにさまざまな野菜を栽培しているし、給食で使用している味噌は我が家も御用達の江戸時代から続く老舗の麹屋が作る味噌などを使っている。食を介した関係性を築くにはもってこいの環境というわけだ。
これからどんな関係が育まれていくのだろうか。ゆっくりと見守っていきたい。