ことばの記憶:vol.11 薪を焚べる時

 色づいていた木々たちの彩度が日を追うごとに薄くなってきている。書斎から見える烏帽子岳の頂もうっすらと白いものが覆い被さっているように見える。冬がいよいよ始まってきた。


 移住から5年目。冬に越してきたこともあるので、6回目の信州の冬になる。6回目の冬ともなると、自分たち自身も移住した頃から5、6歳の年齢を重ねていることもあり、そのせいか次第に冬の寒さが体に応えてくるようになってきた。ただ信州生まれでこの寒さがデフォルトの方たちにとっては、世間では年々暖冬と言われていることもあり、昨今温かい冬と感じているかもしれない。けれど、その寒さを毎年経験していると、ジャブのように体にダメージを与えられているように感じる。そしてまたこれが人間の愚かな部分なのかもしれないが、シーズンが終わってしまうと、この寒さというものをどういう訳か、いったいなんのことだったのか、と思ってしまうくらい、何もかもを忘れてしまうからしょうがない。


 そんな今年の信州の冬のはじまりを迎えるにあたり、今年の夏に移ってきた新居には薪ストーブを導入した。薪ストーブで暖を取りたいというよりかは、自分たちの消費するエネルギーを電気やガスだけに依存し過ぎたくないという思いが大元にあり、エネルギーを分散させるために、薪で暖をとる薪ストーブを選択したという訳だ。


 そして改めて薪ストーブを見てみると、これが非常に面白い。考えてみたら私たちの生活の中で使用するものの大半は電気に頼ったデジタル製品に溢れている。湯船にお湯を沸かすための給湯器、加熱調理するための電子レンジ、食材の新鮮さを保つための冷蔵庫なんかも全てが電気につながってその役割を全うしている。そしてどうしてそれらが駆動しているのかと聞かれれば言葉を濁すほかない。方や薪ストーブはどうだろうか。鋳物でできた躯体とそれに繋がれた煙突がついているだけとも見て取れる。よし使うぞ!とこちらが腰を上げない限り、ただのオブジェと化してしまう。言ってしまえば、それだけの箱と筒の構造物なのだが、その中に薪を焚べ、マッチで火を灯すとオブジェだったものの中にエネルギーと熱が発生するのだ。アナログな仕組みなのだがとてもシンプルで理解がしやすい。


 いつまでもオブジェとして置いておく訳にもいかず、というか冬の足音も朝の室温計の数字を通して忍足で近づいているのを感じた頃から薪ストーブを使用し始めて、半月ほどが経過した。人類が太古の時代から使用している動力エネルギーは、電気に支配され過ぎた現代人の自分にとっては少々まだ慣れるに時間が必要そうというのが正直なところだ。着火剤から火が順繰りと薪に燃え移っていく過程で、炎を小さなところから大きなところに持っていくまでに齷齪してしまう。待てばいいものの、余計な手をかけてしまうことで順調だった火種が虫の吐息のように小さなものになってしまったりと言った具合だ。善かれと思ってなんちゃら、なんてことが人間の真理のように語られるが、まさに薪火にも同じことがいえるのではないか、なんてことを思ってしまう。


 「ああ、やばい」と火種に余計なことをしてしまった自分の愚かさを反省し、小さくなった火種に「どうか大きな火種に戻っておくれ」と念を送ってみると、どういうわけか何かの拍子にボワッと大きくなってくるから、こちらのこころを覗かれているような、いや手のひらで転がされているようななんとも言えない気持ちになってくる。


 鯔のつまり、人に接するのも、薪に接するのも、セカセカせずにドーンと構えてじっくりと待つ、そんな忍耐を試され、説教を受けているようで、なんだが気恥ずかしい毎朝を過ごすのだった。

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