やまと言葉で〈日本〉を思想する / 著者・竹内整一 / 春秋社
私たちが普段から日常的に使っている『日本語』。
しかし、現代の『日本語』は明治時代の開国の際に西洋から入ってきた言葉や外来語を無理やりカタカナ語として使っていることが多いのではないでしょうか。
この本は、日本の哲学者としても知られる和辻哲郎氏の「最も日常的な、最も平俗な活きた言葉をもって考えようとしないのであろうか」という問題提起に端を発し、『日本語』つまり『やまと言葉』に立ち返り、普段何気なく使っている言葉について分析、まとめられています。
日本人の気質や美意識として度々でてくる「侘び寂び」の「寂」という意味についても改めて意味を調べてみると、『活気が失われて荒涼としている様』という意味の他に『もとの活気ある、望ましい状態を求める気持ちでいること』という真逆の意味を持ち合わせています。
けれど、日本人の感覚として、古いモノや建物を見たり身を置いたりする時に感じる眼前に広がる光景とは別に映り込む静謐で洗練された情景を心に思い浮かべる気概は、こういった言葉の奥深くからくるものなのだなと、理解が深まりました。
奥ゆかしく、深いやまと言葉の意味合いを知ることは、日常的に使う言葉の視点や幅を広げていくきっかけになってきそうです。
【目次】
1 願い、祈り、悲しむのは誰のことか ――「ねがう」「いのる」「かなしむ」「いのち」「やさしい」
2 「魂にふれる」ということ ――「たましい」「ふれる」「ふる」「つきぬける」
3 「わが心慰めかねつ」の思想構造 ――「なぐさむ」「しずめる」「すむ」「なりつく」「鎮魂・慰霊」
4 「花びらは散る 花は散らない」、再々論 ――「いたむ」「とむらう」「死者・生者」「大いなる「いのち」」
5 「さびしさ」と日本文化 ――「さびしい」「かなしい」「はかない」「幽玄」「なまめかしい」「かわいい」
6 日本語で「哲学」するということ ――「日本語」「哲学」「思想」「かんがえる」「カタカナ用語」「擬音・擬声語」
竹内整一
1946年、長野県に生まれる。東京大学文学部倫理学科卒業。専修大学教授、東京大学大学院教授などを経て、現在、鎌倉女子大学教授、東京大学名誉教授。倫理学者、日本精神史専攻。「はかなさ」「やさしさ」「かなしさ」などの和語をキーワードとして展開する日本文化論・日本思想論は、独特の視点と輝きをもつ。著書に、『自己超越の思想』(ぺりかん社)、『日本人は「やさしい」のか』(筑摩書房)、『「はかなさ」と日本人』(平凡社)、『「かなしみ』の哲学』(NHKブックス)、『花びらは散る 花は散らない』(角川書店)、『「おのずから」と「みずから」』、『やまと言葉で哲学する』(ともに春秋社)など多数。