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いのちの窓

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いのちの窓 / 著者・河井寛次郎 / 東方出版




言葉の影響力




今でこそ、モノの作り手や著者などの考えやプロセス、バックグラウンドなどを言葉で伝えることをしているのだが、こうした手法というのは一朝一夕で身につけたというわけではない。

それは20代の後半から30代の頭にかけてお世話になっていた黒崎輝男さんとの仕事の中で学ばせてもらった経験が、今の自分の根底に流れているモノの見方に影響を与えていることは確かなのだ。

言葉を選ばずいうと、むやみやたらに北欧に行き続けていた自分に対して、「何か古いモノを買ってそれに価値をつけて売ってみたらいい」と助言をくれたのも氏であったし、ある時は一緒にデンマークのコペンハーゲンを歩いている時に、ふと街中に現れたアンティークショップのウィンドウディスプレイで足を止め、「こういったコレクションをディスプレイできるくらいに目を養え」と言われたこと、いやその言われた時の気温や空気、情景すらもこころに残っている。

でも今振り返ってみても氏から何かノウハウを教えてもらったわけでもない。そこにあったのは”価値”とか”見る眼”といったことを言葉を、時と場合で形を変えながら、要所要所で投げかけてもらっていたということに尽きるのだ。

それらが人の人生を変え、そして生きる糧になっているのだから、言葉というものはやっぱり大したものだと思う。


さて、本書『いのちの窓』は、日本の民芸運動の草分けの一人、陶磁・書画・木彫など多彩で精力的、しかも他の追随を許さぬ優れた作品宇宙を築いた河井寛次郎が、生前に残した言葉がまとめられた一冊だ。河井寛次郎の作品に通ずるような力強くけれど、どこかここではないどこかへと誘ってくれるような雰囲気が言葉の断片の中から読み解いていくことができるはずだ。

読む時々でその解釈も変わるだろうから何度も味わってみて欲しい。

そうすればいつかその言葉は、自分の中の大事な要素に変化していくはずだ。



<目次>
前篇 火の願ひ
後篇 いのちの窓
自解



河井寛次郎

1890年(明治23年)島根県安来市生まれ。1966年(昭和41年)逝去。
松江中学(現島根県立松江北高等学校)から東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科へ入学。1911年21歳のとき、バーナード・リーチの新作展を見て感銘を受ける。'14年東京高等工業学校卒業、京都市立陶磁器試験場に入所。'17年同試験場を辞め、清水六兵衛工房の顧問を2年間務める。

縁あって清水六兵衛の持ち窯を譲り受け、住居を兼ねた窯と工房を設ける(鍾溪窯、後の河井寛次郎記念館)。'21年東京と大阪で初の創作陶磁展を開く。東京で柳宗悦に会う。36歳で作家としての一代転換期を迎える。「民藝」という言葉をつくったのもこの頃のこと。'31年柳宗悦、濱田庄司とともに同人雑誌『工藝』を創刊する。

'37年パリ万国博覧会に出店された《鉄辰砂草花図壺》がグラン・プリを受賞。日本民藝館の財団法人設立に伴い、理事に就任。'50年還暦祝賀展を、東京・大阪の高島屋で開く。また、日本民藝館でも還暦記念特別展が開催される。

'57年ミラノ・トリエンナーレ展に出品された《白地草花絵扁壺》がグラン・プリを受賞。

 

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