写真講義 / 著者・ルイジ・ギッリ / みすず書房
改めて写真とは
スマートフォンを手にする前から写真を撮っている。
きっかけは北欧を旅することからスタートした一人旅。この一人旅をしていると自分が経験したことが現実かそれとも自分の中の歪んだ妄想なのか、確たるものがないと思ってしまうことが多々ある。そんな時にシャッターを切っていたように思う。旅の経験の記憶を呼び起こすものとして写真がどうしても頼りになってくるのだ。
今でこそ、息をするようにその起こった出来事や食べたものなどをiPhoneで撮っているのを至る所で見かけるようになった。けれどその写真はほとんど見返されることもなくカメラロールに溜まっていき、そして気づけばiPhoneのストレージを圧迫してしまう存在になってしまっている。撮られた写真も、いやこんなはずじゃないと言い訳していように思えてきてしまうから可笑しなものだ。
シャッターを切ったことすら忘れてしまうように今、写真というものは身近になった。さて改めてそんな写真というものはどういうものなのだろうか。
そんな問いに対して論じてくれているのが本書『写真講義』だ。
著者は、捨てられない絵葉書のような、密やかなイメージを撮りつづけた写真家ルイジ・ギッリ(1943-1992)。その何気ない一枚の背後には、イメージに捉われ、イメージを通して思考する理論家ギッリがいる。自らの撮影技術を丁寧に示しながら、写真の魅力を熱く静かに語りかける。イタリア写真界の無名の巨匠がのこした最後の授業。
「多くの人が写真はもはや時代遅れ、ビデオ、映画、新しい表現体系、デジタル映像に追い越されてしまったと言うのは偶然ではありません。けれども私は、写真にはそうしたすべてを超越し、まったく異なる仕方で世界と関係を築く力があると信じています。かつて写真は、何かを知るため、あるいは何かを肯定し、応えを提供する表現でした。現在ではそうではなくなりつつあります。しかしたとえそうでも、やはり写真は、世界に対して問いを投げかけるための言語であり続けています。かならずしも応えを得られるわけではないかもしれませんが、写真にはまだこの偉大な潜在能力があると思います。私は人生で、外部世界と関わりながら、まさしくこの方向に向かって歩んできました。決して問いの応えは見つからないと分かっていますが、問いを投げかけることをやめるつもりはありません。なぜなら、このことがすでにひとつの応えの形だと私には思われるからです」(本書「自分を忘れる」より)
〈私の机の前には、ルイジ・ギッリの写真が掛かっている。私は彼の写真が好きだ。そして写真と同じくらい、彼が書くものにも心動かされる。ルイジ・ギッリは最後の、真のイメージの開拓者だった。そして間違いなく、20世紀写真の巨匠のひとりだ。〉
――ヴィム・ヴェンダース
〈ギッリの写真に対する根本的な考えは、愛着を投影することである。つまり、私たちの内面がそちらの方へ向かうような、そういうものとの出会いとしての眼差し〉
――ジャンニ・チェラーティ
改めて写真とはなんなのかを考えたくなる一冊。
<目次>
好事家(ディレッタント)かもしれない私の情熱
自分を忘れる
探究
カメラ
実習
露出
「見えていたように撮れていない」
歴史
透明さ
敷居
自然のフレーミング
光、フレーミング、外部世界の消去
音楽のためのイメージ
ルイジの想い出 写真と友情――ジャンニ・チェラーティ
訳者あとがき
原註
ルイジ・ギッリ
1943-1992。レッジョ・エミリア県スカンディアーノ生まれ。写真家。コンセプチュアル・アーティストたちとの共同制作をきっかけに写真を始める。アジェ、ウォーカー・エバンス、アンドレ・ケルテスらの影響を受け、1973年より本格的に写真制作に向かい、実験的な写真表現を探究。1980年以降は、主にイタリアの風景と建築、とりわけ生涯暮らしたレッジョ・エミリア周辺の風景をテーマに活動。建築家アルド・ロッシとの共同制作や画家ジョルジョ・モランディのアトリエ撮影など、室内のテーマにも取り組んだ。また展覧会や本の企画者としても才能を発揮し、1977年には、妻パオラ・ボルゴンゾーニ、ジョヴァンニ・キアラモンテらと共同で出版社Punto e Virgolaを設立、出版者として同時代の写真家の作品集づくりにも尽力した。主な写真集に、『コダクローム』(1978)『エミリア通りの散策』(共著、1986)『雲の輪郭』(共著、1989)『モランディのアトリエ』(2002)『スティル・ライフ』(2004)などがある。1992年、自宅兼アトリエのあるレッジョ・エミリア県ロンコチェージにて急逝。