家の哲学: 家空間と幸福 / 著者・エマヌエーレ・コッチャ、翻訳・松葉類 / 勁草書房
生活の面影
人生で6回ほど引越しを経験してきた。初めては赤ん坊の時だったのでほとんど記憶がないけれど、記憶があるのは小学校2年生の頃に集合住宅の団地から近所にできたマンションへの引越しだった。自分の経験としての初めての引越しは、今まで配置されていた家具やテーブルなどが引越し業者の方たちの手に渡り、冷蔵庫を空にする関係でスーパーで買っておいた菓子パンを朝ごはんに食べるという、いわゆる“いつもの暮らし”とは程遠いその様に少し寂しさと哀しさが入り混じった環境になったことを思い出す。
引越し先の新しい生活も、最初の頃は部屋のスイッチひとつとっても配置が変わったので、生活がスムーズに流れていかないもどかしさなどもあったりと、なんで引越しなんかをしているのだろうという気持ちにさえなってくる。けれどそんなことも住めば都になるもので、時間が経つにつれて生活動線も感覚で身についていき、またいつもの日常に変わっていくのである。
自分の生活の動線やその中での所作は感覚的なものが多く、それをはじめて認識するのはこうした引越しなどの時であろう。その小さなひとつひとつの行動の癖が家の中での秩序となり、個人個人のアイデンティティのひとつとして形成されていくということが結婚して今まで異なる場所で生活をしていた人と日々を共にする中で実感していくことになっていく。そうしてその二人も時間が経てば、二人の暮らしの秩序となって家庭の哲学へと昇華していくことだろう。
そうであるならば、その範囲を町や県、さらには国へと広げていけばコミュニティや民族などのアイデンティティへと繋がっていくことが容易に想像でき、今世界で起こっている数々の戦争や紛争に目を向ければ、ともすると私たちの足元の生活や家までそれらが繋がっているということが想像できるはずだ。『わたしたちの幸福と惑星の未来は家のなかにある。』と本書『家の哲学: 家空間と幸福』の著者・エマヌエーレ・コッチャが語るのも頷ける。
ページをめくれば浴室、キャビネット、ベッド、廊下、台所といったように家の中にある様々なものをトピックに論考が広がっていく。家を通してわたしは「他者」となり、また「他者」はわたしとなる。家は「雨風を防ぐもの」「所有された空間」ではなく、わたしのメタモルフォーゼが繰り返される、幸福の実験場である。「生」の変様を記述する哲学者コッチャによる、現代の家についての哲学的エッセー集。
自身の生活を省みるきっかけを与えてくれる一冊として是非手にしてみて欲しい。
<目次>
序論 都市の彼方の家
1 引っ越し
2 愛
3 浴室とトイレ
4 家のなかの物
5 キャビネット
6 双子
7 白い粉
8 ソーシャル・ネットワーク
9 部屋と廊下
10 ペット
11 庭と森
12 台所
結論 新しい家、あるいは賢者の石
謝辞
本書の成り立ち
参考文献
エマヌエーレ・コッチャ
1976 年イタリア生まれ。フィレンツェ大学博士(中世哲学)。フランスの社会科学高等研究院(EHESS)准教授。フライブルク大学准教授を経て、2011 年より現職。著書にLa trasparenza delle immagini. Averroè e l’averroismo (Mondadori, Milan, 2005), La Vie sensible (tr. de M. Rueff, Payot et Rivages, Paris, 2010), Le Bien dans les choses (tr. de M. Rueff, Payot et Rivages, Paris, 2013), Hiérarchie. La société des anges (tr. de Joël Gayraud, Paris, Rivages, 2023) など。邦訳書に、『植物の生の哲学:混合の形而上学』(勁草書房、2019 年)、『メタモルフォーゼの哲学』(勁草書房、2022 年)がある。
松葉類
1988 年生まれ。京都大学文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。現在、立命館大学客員協力研究員。専門はフランス現代思想、ユダヤ思想。著書に、『飢えた者たちのデモクラシー:レヴィナス政治哲学』(ナカニシヤ、2023 年)。訳書にジャン・フランソワ・リオタール『レヴィナスの論理』(法政大学出版局、2024 年)、共訳書にフロランス・ビュルガ『猫たち』(2019 年)、エマヌエーレ・コッチャ『メタモルフォーゼの哲学』(勁草書房、2022 年)。