私の生活技術 / 著者・アンドレ・モーロワ / 土曜社
世界はこころの写し鏡
1歳になる息子を育てていると月日が流れるにつれ、自分の思考が芽生え始めてきているということがよくわかります。あれをしたい、これをしたい。あれは嫌だ、これはしたくないといったように自分の行動の道標となる感覚をその子なりに身につけてきている証拠だなと思いつつも日々それらに振り回されている次第なのです。
自分の幼少期を振り返ってみても、どうしても感覚的に合わなかったりすることがよくあったように思います。親から言葉で諭され頭では理解できているのだけれど、自分の感覚がどうしても許せなく、そのことを言葉で説明しても理解されず、しまいには体調を崩してしまうということもありました。幼心にもこの事象は一体なんだったのだろうと疑問が残るような体験だったのですが、そのギャップのようなことは大人になっていくにつれて次第に気にならなくなってきました。
さて、本書『私の生活技術』は、フランスのランスの小説家、伝記作者、評論家のアンドレ・モーロワが生きている中で誰しもが行なっている考えることだったり愛すること、働くことや歳をとることについての論説がまとめてあります。その中の最初の項の「考える技術」のところで人は大宇宙なるものと小宇宙なるものを持っているということが語られ、前者は社会性を伴う言葉や論理の世界つまり異なる他人と共通の経験値を積んでいく世界と、後者は個人の感覚による身体体験や感覚・直感というものが優位の世界があると論じられています。
先に例を挙げた私の感覚の不一致の体験は、この大宇宙と小宇宙のギャップやそのギャップによる葛藤だったということがこの一冊に目を通すことで理解できたのです。そして同時にこのギャップは大人になるにつれてなくなったのではなく、それ以上に頭で考える論理の世界の大宇宙が優位になりすぎて、気にならなくなったのではなく、気づくことができなくなってしまったと言った方が良いのかもしれません。
こういった生きる上での本質的なことが言語化され整理されている、自分が歳を重ねながら何度も読み返したくなる一冊、いや指南書です。
<目次>
考える技術
愛する技術
働く技術
人を指揮する技術
年をとる技術
ある何人かの青年に寄せる手紙
解説
アンドレ・モーロワ
1885年、仏エルブフに生まれる。哲学者アランに師事し、小説家・伝記作家として活躍。『フランス敗れたり』『フランス戦線』『初めに行動があった』『パリの女』などの著作が日本語に翻訳されている。1967年永眠、享年82。