見晴らしのよい時間 / 著者・川瀬慈 / 赤々舎
感性が見せる景色
海には滅多に行くことはないのです。最後に行ったのは2018年の秋。友人のデンマークのクラフトマンを連れて福井の和紙の里を訪ね、その後石川県で一泊し小松空港から羽田までのフライト前の時間に立ち寄った安宅海岸が最後だったように記憶しています。
2泊3日異国の地の刺激やインスピレーションなど肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていることが一緒にいる自分でさえ感じ取れるものだったので、おそらく本人としても相当だったと思うのです。そんな折り、最後海岸沿いに腰掛けて夕陽に照らされた青い瞳は何を見てどう感じていたのかと思いを馳せている時間が忘れられません。きっとそこには国境や人種などの境界線はなく、ただそこで生きている二人が一緒に旅をした同士として、同じ経験をした旅のハイライトを振り返り、そしてエンドロール的なものを感じ取っていたことでしょう。その夕陽が確かに二人のための景色、そして“見晴らしのよい時間”だったのです。
そんな記憶の景色を呼び起こしてくれた一冊がこちらの『見晴らしのよい時間』です。
遠く離れた旅に出遭う人々の在りよう、周縁にも想いを凝らし、存在の痛苦、創造性、したたかさを抱き込みながら、その交感から立ち上がる詩を、映像や文章として作品にしてきた映像人類学者の川瀬慈さん。
本書は、長く続いたパンデミックの時代に、気ぜわしい日常のなかで希薄になりつつあった"イメージの生命"とのつながりを再び確かめ、その聖域の奥へ奥へとイマジネーションの潜行を試みることから生まれました。
日々の営みのあちこちにその入り口を持ちながら、人が太古より祈りや歌を通しても交流を重ねてきた、見えるものと見えないものの真ん中に息づくその場所へ──。洞窟壁画を模写した水彩画、歌、エチオピア移民のコミュニティ、イタリア軍古写真との遭遇── イメージの還流に揺さぶられながら、著者の野生のまなざしは、見晴らしのよい時間へと通貫していきます。
詩だったり、文章だと思って読み進めていると詩だったり、対談があったりと少し面を食らってしまうかもしれませんが、読み進めていると必ずご自身の中で立ち上がってくる何かがあると思います。その何かを丁寧に読み解くと、“見晴らしのよい時間”というのを感じ取っていただけると思います。
<目次>
【地軸の揺らぎ】
見晴らしのよい時間/獣がかじるのは/君の歩行
【川に沿って】
イメージの還流/線の戯れ/どんぼらの淵
【白い闇】
ムジェレ/さくら荘のチュルンチュル/楽園
【神話の息吹】
虹の蛇/乳房からしたたる涙/影の飛翔/宴
【歌へ】
ちょんだらーに捧ぐバラッド/打てばよい/歌へ〔三つの書評より〕/私は歌
【イメージの生命】
アビシニア高原、一九三六年のあなたへ
【対談・イメージの生命】
アビシニア高原、一九三六年のあなたへ ─ イタリア軍古写真との遭遇
川瀬慈 × 港千尋
川瀬慈
1977年生まれ。映像人類学者。国立民族学博物館教授。エチオピアの吟遊詩人、楽師の人類学研究を行う。人類学、シネマ、アート、文学の実践の交点から創造的な語りの地平を探求。 主著に『ストリートの精霊たち』(世界思想社、2018年、第6回鉄犬ヘテロトピア文学賞)、『エチオピア高原の吟遊詩人 うたに生きる者たち』(音楽之友社、2020年、第43回サントリー学芸賞、第11回梅棹忠夫・山と探検文学賞)、『叡智の鳥』(Tombac/インスクリプト、2021年)。