江之浦奇譚 / 著者・杉本博司 / 岩波書店
時空間の旅路
江之浦測候所という場所はご存知でしょうか。
日本の写真家、現代美術作家、建築家、演出家である杉本博司さんが小田原の地で手がけられた美術品鑑賞の為のギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などから構成される美術館施設です。国内外から多くの方たちが足繁く通う洗練された日本人の美意識や自然の美を凝縮した時空間が広がっています。
本書『江之浦奇譚』はこの江之浦測候所がどのように出来上がったのかということを平成六年の土地の候補が見つかり始めた頃から遡り、書名にも入っている“奇譚”ともいうべき不思議な出会いや縁、そして歴史的な文脈を辿っています。
一つずつエピソードを読み進めていると根津美術館にあった古い明月門を移築した話だったり、九段会館の石が運び込まれたりと、新しい施設であるにも関わらずニューヨークで骨董・古美術商を営んでいた目利きである杉本博司さんの手にかかれば、古く物語性を帯びたものにまつわる歴史が紐解かれ、そこに杉本博司さん個人の記憶が積み重なることでこの空間が作られていることがわかります。
そして、その考えや姿勢の原点になっているのが、『人が人となった大きな転換点はいつだったのか』ということだと杉本博司さんは語ります。人類に自意識が芽生えた時、つまり古代人の心を再体験させようという思いからこのような取り組みがなされているそうです。
杉本博司さんは本書で、「今、未来は折り返し地点にあるのではないか」と問いています。
これからは過去を振り返り読み解くことでこれからの未来が見えてくるのだろうという感じが漂ってきます。
本書を読んでいると過去の姿が今後の未来の姿を暗示しているかのようで、次のページには何が書かれているのかとどんどん引き込まれていく感覚でした。
過去、現在、未来が全て同居している時空間の旅路に誘われてみてはいかがでしょうか。
<目次>
馴れ初め―平成六年春
明月門―平成十年春
石橋山古戦場―平成十三年秋
眼鏡トンネル―平成十四年正月
A級戦犯の門―平成十五年夏
天正庵―平成十六年夏
植物と人間―平成十七年春
直島禊プール―平成十八年春
冬至光遥拝隧道―平成十八年夏
能面萬媚―平成十八年秋〔ほか〕
杉本博司
1948年東京生まれ。立教大学経済学部卒業後に渡米、アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン(ロサンゼルス)で写真を学ぶ。1974年よりニューヨーク在住。『海景』『劇場』『建築』シリーズなどの代表作がメトロポリタン美術館をはじめとする世界有数の美術館に収蔵されている。彫刻、建築、造園、料理と多方面に活躍、とりわけ伝統芸能に対する造詣が深く、演出を手掛けた「杉本文楽 曾根崎心中 付り観音廻り」公演は国内外で高い評価を受けた。2008年、新素材研究所を設立。2009年、公益財団法人小田原文化財団を設立。2017年10月、約20年の歳月をかけて建設された文化施設「小田原文化財団 江之浦測候所」をオープン。ハッセルブラッド国際写真賞、高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞、紫綬褒章受章、フランス芸術文化勲章オフィシエ叙勲、そして2017年、文化功労者に選出される