大きなシステムと小さなファンタジー / 著者・影山知明 / クルミド出版
見えない何かを掬い上げる
大きいものに従ったり、長いものに巻かれたりとそんな状態は何も考えなくて楽ちんだと思ったりすることもある。会社員時代がまさにそうだったかもしれない。新入社員や若手社員はこうあるべきだということを徹底的に叩き込まれたりもした。
けれど何かとてつもなく大きな違和感を日々感じながらの生活はそう長く続くこともなく、仕事帰りに近所のカフェに行って何をする訳でもなく、ただボーっと過ごす時間に浸っていた。その中の一つが西国分寺のクルミドコーヒーだった。
当時は食べログが全盛期の時で評価が他のカフェに比べてダントツで高かったクルミドコーヒーは、それが平日だとしても来店者で溢れかえっていたことを思い出す。
そんな時分に今はきっとやっていないであろう一日限定しかも夜だけという季節のスープをもてなしてくれる日にたまたま入ることができたことがあった。確かそのスープはトマトのスープ。トマトのスープといっても市販のカットトマトが使われているようなものではなく、大きなトマトが丸々と入っているようなちょっと特別感のある一品だったように思う。スープを食べ終えると、ああこういうことが大事なんだなと気付かされたのだった。
本書『大きなシステムと小さなファンタジー』はそんなクルミドコーヒー・胡桃堂喫茶店の店主・影山知明さんが日々お店の経営する中で感じた違和感を言語化し、かつ自身の取り組みとしてその違和感に対処していく過程で気づいたことをまとめている一冊。
人を手段化しない社会のあり方は、ある種植物が育つ過程にも似ていると影山さんは本書の中で語ります。これは信州に移住をした身、そしてそこで畑をやっている身からしたらとても大きく頷きたくなるフレーズや気づきでもある。だって植物と日々接していると本書に書かれていることが本当にそうなのだから。
「あなたの雇い主は、実はシステムなのだ。」
──システムの力が強くなると、あなたが、時間が、関係性が、ことばが、手段になる。すべてが利用価値で測られるようになる。現代の生きづらさの原因はここにある。
あなたがあなたであることから、それを互いに受け止め合うことから、やり直せないか。
クルミドコーヒーで、ぶんじ寮で、国分寺で。
何かとたたかうのではなく、何かを変えようとするのではなく、軽やかに、遊ぶように、「もう一つの道」を切り拓いてきた著者による、実践の記録。未来への展望。
種が土と出会い、芽を出し、やがて木へと育つように。一本の木が、まわりのいのちと関わりながら生態系を育み、やがて森へと育つように。
解き放とう、あなた自身を。
「一つ一つのいのちが大切にされる社会」はもう、すぐそこにある。
クルミドコーヒーの一杯のスープに救われたとある会社員のように、この一冊が誰かのこころを軽くしてくれるのであれば、それはとても喜ばしいことだ。
<目次>
第一部 自分の時間を生きる(こどもたちのためのカフェ;ファンタジーの森)
第二部 いのちのありようから学ぶ(植物が育つようにお店をつくる;種の話;土の話;いのちをいかし合う組織;いのちはどのような形をしているか)
第三部 大きなシステムをひっくり返す(友愛の経済、友愛の金融;一つ一つのいのちの形をしたまち;もう一つの道)
影山知明
1973年、東京・西国分寺生まれ。
大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニー社を経て、独立系ベンチャーキャピタルの創業に参画。
その後、株式会社フェスティナレンテとして独立。
2008年、生家を建て替え、多世代型シェアハウス「マージュ西国分寺」を開設。1階には、こどもたちのためのカフェ「クルミドコーヒー」を開業。2017年には、2店舗目となる「胡桃堂喫茶店」をオープンさせた。
店を拠点として、まちの仲間と共に、クルミド出版、胡桃堂書店、クルミド大学、クルミド/胡桃堂の朝モヤ、地域通貨ぶんじ、ぶんじ寮等を事業化。
開かれた場づくりから、一つ一つのいのちが大切にされる社会づくりに取り組む。
著書に、『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』(大和書房)。