天文学者たちの江戸時代 増補新版 / 著者・嘉数次人 / 筑摩書房
星を眺めて
信州・上田に移住をしてきて驚いたことのひとつに、暦通りに季節が移り変わっていくということが挙げられます。立冬になったら一たびに最低気温がグッと下がってきたり、暑さ寒さも彼岸までときたら、まさしくその通りになるわけです。東京にいた頃は桜や金木犀などの視覚として季節の変化を知る術はありましたが肌感覚として季節の移ろいを感じることは段々となくなってきてしまっていたので、何より新鮮なことだったのと、それがなんだかとても嬉しいことのように感じたのでした。
日中の変化だけが季節の変化を感じられるものとは限りません。星たちもです。
都会に比べて星がよく見えるのもこの地の利というわけです。何度かこころに刻まれた星空があるのですが、ひとつがイチと二さんが佐久の春日で活動されていた時に一度食事をしに行ったのですが、夜も更けた時間に食事を終え外に出ると、本当に空から落ちてきそうな星空たちが空一面に広がっていたことは今でも脳裏に焼き付いています。そしてもうひとつが先日マガジン『HASHU』の取材のため星空を撮影しに菅平高原に行き、夜通し空を見上げながら星空を眺めていたのですが、春日の時のものとはまた味わいの異なる安心感をまとった星空だったように思い起こされます。季節の変化を感じられるだけでなく、星たちは私たちのこころを癒してくれるのかもしれません。
さて、本書は江戸時代に星空を見上げていたであろう天文学者に焦点を当てた一冊『天文学者たちの江戸時代』です。星空の変化を捉えることは、その土地を治める者たちにとっては、重要な事柄でした。なぜなら、その土地で収穫できる作物の栽培に関わること、つまり国力と直結するからです。この星や星に基づいた暦の編纂と、政との結びつきは万国共通で切ってもきれないことだったのです。
さてそんな中、江戸時代、天文学者たちは星を見上げ、暦に命を懸けました。
この一冊の中には、鎖国下の日本で外国の知識やことばと必死で格闘し、研究に身を捧げた人びとを描く情熱の天文学史がまとまっています。
渋川春海による「日本独自の暦」を作る苦闘
西洋天文学の導入を目指した徳川吉宗と麻田剛立
地動説、彗星、星座は当時どう考えられていたか?
伊能忠敬の全国測量異聞――幻となった間重富の測量計画
オランダ語を独力で習得し、命がけで「ラランデ暦書」を翻訳
最新情報を求めシーボルト事件で獄死した高橋景保 などなど。
現役の科学館学芸員である嘉数次人さんが、江戸時代の天文学者たちの思索と、
ドラマにあふれた人生をたどります。
江戸時代の天文学者が見ていた星は今も瞬いているのでしょうか。
ロマン溢れる一冊です。
<目次>
プロローグ 天文と暦――日本の天文学ことはじめ
第一章 中国天文学からの出発――渋川春海の大仕事
1 八〇〇年ぶりの改暦――渋川春海と貞享改暦
2 渋川春海は星占い師?――天文占と星座研究
3 西洋天文学との出会い
第二章 西洋天文学の導入――徳川吉宗・麻田剛立が開いた扉
1 西洋天文学を導入せよ――徳川吉宗の試み
2 西洋天文学が変えた宇宙像――麻田剛立が見た宇宙
3 吉宗の願いが叶う時――寛政の改暦
第三章 改暦・翻訳・地動説――高橋至時・伊能忠敬による発展
1 下級武士が取り組んだ改暦事業
2 拡大する天文方の仕事――蘭書翻訳と伊能忠敬の測量事業
3 地動説への取り組み
第四章 変わる天文方の仕事――間重富・高橋景保の奮闘
1 町人学者の改暦参画――間重富
2 伊能忠敬の全国測量異聞
3 オランダ語と天文学――蛮書和解御用
4 広がる天文学研究――彗星と天王星
第五章 西洋と東洋のはざまで――江戸の天文学の完成期
1 シーボルト事件と天文方
2 渋川景佑の活躍と天保の改暦
3 幕末の天文学
4 江戸の天文学の終焉
補章 書物と西洋天文学
1 西洋天文学の導入ことはじめ
2 西洋天文学の消化
3 天文方の情報源
あとがき
文庫版あとがき
解説 宇宙への情熱 ―時代を超えても変わらぬ思い 渡部潤一
主要参考文献
写真出典一覧
関連年表
嘉数次人
1965年生まれ。大阪教育大学大学院教育学研究科修了。1990年より大阪市立科学館学芸員。学芸課長。近世日本の天文学を中心とした科学史と科学普及を専門としている。本書『天文学者たちの江戸時代』(ちくま新書、2016年)が初の単著。他の著書に『木村蒹葭堂』(共著、思文閣出版)、『伊能忠敬測量隊』(共著、小学館)などがある。