ある一生 / 著者・ローベルト・ゼーターラー、翻訳・浅井晶子 / 新潮クレストブック
生きた証
幼稚園の遠足の際に、多摩エリアの水甕となっている村山貯水池、通称『多摩湖』に行きました。このエリアの水源確保のため東京の政策として村を潰して作られたため、地元では色々と曰くつきの場所としても知られています。湖の周りには遊歩道が整備されており、遠足でも湖の景色を眺めつつ、終わったら遊歩道の脇から斜面を下り、その下にある芝生にレジャーシートを敷いて昼食を取ろうということになりました。幼稚園児なので、急な斜面であってもそりゃ駆け回る訳です。自分も御多分に洩れず、割と全力疾走で斜面を降りるので最終的には転倒し、膝を強打しつつズリむけの傷がつき血が滲んだ状態になってしまいました。転んだ恥ずかしさと膝の痛みに涙していると、引率に来ていた、その当時に通っていた体操教室の先生が自分のところにやってきて、手当をしてくれるのかなと思ったら、「おお、いい勲章ができたな。生きてる証。」と威勢よく一言だけいって行ってしまいました。このことがきっかけに多少の怪我は、生きた証として自分の中で何やら変な割り切り方ができるようになったのです。その後、別の先生に消毒と手当をしてもらいました。
さて、本書『ある一生』はまさしくそんな生きた証が刻まれた一冊となっています。
孤独、成長、恋愛、死別、事故、戦争、絶望、希望とアルプスの山を舞台に生きた、名もなき男の生涯が一冊の中に凝縮されています。人生を織りなす忘れがいたい出来事、時間がじんわりとこころに証のように刻まれていきます。
作中主人公エッガーの生活を垣間見たとある女性に「人ってどんな場所でも幸せになれるものね」という言葉をかけられる場面が特に印象に残っています。これを体現するためには、自身の中で確たる信念やとても大切にしているものがあればそれは現実として形になるものなのだなと感じます。さて、主人公エッガーにはどんな信念や大切なものがあるのでしょうか。作中にそれが言語化されている訳ではないですが、読み取っていただけるはずです。
自分の生き方を俯瞰して見られるような一冊です。
是非手にして見てください。
▼Ikezawa Natsuki 池澤夏樹
これは一つの完結した人生の物語であり、主人公は80年の生涯を幸福に終えた、と言ってしまいたい。エッガーというこの男には自分の境遇を他人と比べるという考えがまったくない。いわば生まれついて達観の域に達している。身体にちょっとした障碍があるし、理想の結婚生活は長く続かなかったし、異国に送られて苦労した。彼はそれらを全て受け入れる。アルプスの自然は彼の生きかたを肯定する。エッガーが造ったロープウェイはひょっとして天国に通じているのではないか。
▼Die Welt ヴェルト紙
ひとつの満たされた人生の、繊細で優雅な歌。読んでいると心が凪いでくる。そして感動させられる。
▼Westdeutscher Rundfunk 西ドイツラジオ
ローベルト・ゼーターラーは、多くの言葉を必要としない――ましてや大声を張り上げて語られる言葉など。書かれた内容も方法も非常に静かだが、にもかかわらず大きく響きわたる。自身の魂を喜ばせたい者は、この本を読むべきだ。
▼Frankfurter Allgemeine フランクフルター・アルゲマイネ紙
ひとりの人間がどれだけの重荷に耐えられるものかを、この本は静かに、濃く、美しい言葉で、だが激情を交えずに語る。
▼Deutschlandfunk ドイツ公共ラジオ
ゼーターラーが描くのは地理的に限定されたある地方ではなく、ひとつの魂の風景であるかのようだ。
▼Tageszeitung ターゲスツァイトゥング紙
もう長いあいだなかったほど心を揺さぶる感動的な本を書くことに、ローベルト・ゼーターラーは成功した。
ローベルト・ゼーターラー
1966年ウィーン生まれ。俳優として数々の舞台や映像作品に出演後、2006年『ビーネとクルト』で作家デビュー。『キオスク』などで好評を博す。2014年刊行の『ある一生』は、ドイツ語圏で100万部を突破。2015年グリンメルズハウゼン賞を受賞。2016年国際ブッカー賞、2017年国際ダブリン文学賞の最終候補に。2018年刊行の『野原』は、「シュピーゲル」誌のベストセラーリスト1位を獲得、ラインガウ文学賞を受賞。名実ともにオーストリアを代表する作家の一人。
浅井晶子
1973年大阪府生まれ。京都大学大学院博士課程単位認定退学。訳書にローベルト・ゼーターラー『ある一生』、エマヌエル・ベルクマン『トリック』、イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』、パスカル・メルシエ『リスボンへの夜行列車』、ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』、トーマス・マン『トニオ・クレーガー』ほか。2021年日本翻訳家協会賞翻訳特別賞を受賞。