いきている山 / 著者・ナン・シェパード、翻訳・芦部美和子、佐藤泰人
リアルな臨場感
ここ数年、ハイランドレメディーズと一緒に制作している『HASHU』というマガジンの取材で菅平高原に足繁く通っている。同じ信州・上田に位置しているものの高低差が500m以上違うので、そこにある植生はもとより気候すら異なる場所が車で30分ほども場所にあるというのはなんだか不思議な気分なのだ。
その取材で夜空に浮かぶ星空を撮影しようということになった。普段であれば太陽が空高くある日中帯の取材や撮影なのだが、夜空ということで少し勝手が異なった。普段は夜道すら歩くことが珍しいのだが、撮影当日は夜の7時くらいに家を出発し、意気揚々と菅平高原へと向かった。
夜の闇は都会のそれよりも深く、漆黒の中をハイビームで路上を照らしながら突き進むのはそれだけで非日常なのだが、菅平高原エリアに突入した時に様子が異なってきた。霧が立ち込めて10m先も見えないほどなのだ。そんな中を突き進んでいると実はもう自分はこの世にはおらず、天国への道をひたすら進んでいるのではないかと思ってしまうほど。自然、特に山は、御神体という言葉があるように、それ自体が一つの生命体であり祈りを捧げる対象ということを、霧が山頂からどんどんと落ちてくるそんな状況に身を置いていると妙に納得ができる。様相が様変わりしていく様子に、否応なしにこころは掻き乱されていく。それはとてもリアルで臨場感に溢れるものだったのだ。
さて、本書『いきている山』は私のこんな経験より遥かにリアルな山の臨場感を味わえる一冊だ。
スコットランド北東部のケアンゴーム山群。深成岩塊が突き上げられ、氷と水の力により削られてできた約4000フィート(1219m)の山々。プラトーが広がり、湖や池が点在し、泉が湧く。この地にほど近いアバディーンに生を享けた本書の著者であるナン・シェパード(1893-1981)は、生涯、この山に通い、この山を愛した。
ナンの登山は、高さや速さを競うものではない。山の「内側」や「奥地」を求めて山に入る。山に会いに行き、山と共に過ごす。ナンは犬のように山々を歩き回る。五感を解放し、いきている山の営み――光、影、水、風、土、岩、木、草花、虫、鳥、獣、雨、雪、人――に出会い直す。文章や言葉の中にとてもリアルを感じるはずだ。
引き出しにしまわれていたこの作品は、時を経て、運命的に、山を愛する人々により見出された。そして今日、詩性溢れる文章で自然と肉体の交感を語るこの書は、あらゆる表現活動に関わる人々に影響を与えている。ネイチャーライティングの名作。
〈プラトー(高原)の夏は、美味なる蜂蜜にもなれば、唸りを上げる鞭ともなる。この場所を愛する人々にとっては、そのどちらもが良い。なぜなら、どちらもプラトーの本質をなすものだから。山の本質を知ること。それこそが、ここで私が試みようとしていることにほかならない。すなわち、生命の営みという知をもって理解しようとすること。〉
(「一、プラトー」)
どれだけ『いきている山』を読んでも、それは私にとって驚きであり続けている。この本に慣れる、などということはないのだ。
――ロバート・マクファーレン「我歩く、ゆえに我あり――2011年版序文」より
シェパードは山の中で「fey[フェイ]」に気づいた、
取り憑かれた、と。
――志賀理江子(写真家)
<目次>
序
一、プラトー
二、奥地
三、山群
四、水
五、氷と雪
六、空気と光
七、いのち――植物
八、いのち――鳥、獣、虫
九、いのち――人間
十、眠り
十一、感覚
十二、存在
我歩く、ゆえに我あり――2011年版序文 ロバート・マクファーレン
訳者解説(佐藤泰人)
訳者あとがき(芦部美和子)
謝辞
ナン・シェパード
1893-1981。スコットランド北東部の村、ピーターカルターの中流階級の家に生まれる。1915年にアバディーン大学を卒業後、アバディーン地区養成センター(教員養成学校。現アバディーン大学教育学科)の講師となり、1956年に63歳で退職するまで同校で英文学を教え続けた。退職後は雑誌『アバディーン大学評論』の編集に精力的に取り組んだ(1957-1963)。1928年The Quarry Wood、1930年The Weatherhouse、1933年A Pass in the Grampiansと立て続けに小説作品を出版。1934年には詩集In the Cairngormsを発表。1964年アバディーン大学より名誉博士号を授与される。1944-45 年ごろに執筆された『いきている山(The Living Mountain)』がようやく出版されたのは1977年のことだった。1981年、アバディーンの病院で死去。享年88。