野菜のおすそ分け体験とギフトエコノミー
私たち夫婦が東京から長野県上田市へ移住して約半年が経ちました。
私自身が田んぼの手伝いを始めたということもあり、上田で知り合う人は必然的に農家の方や家庭菜園をしている方が多くなりました。
というか、上田の人はけっこうな確率で畑をやっている人が多いのです。耕作放棄地もかなりあるとか。
日常の営みの中に「農作業」があり、一家に一台「草刈り機」…!?そんな場所で生活をして初めて迎えた夏。
夏野菜のおすそ分けがすごいのです…!
田んぼで知り合った農家の方からじゃがいもを袋いっぱい頂いたり、畑をもっている夫の叔父からダンボール一箱分夏野菜を頂いたり、はては家の前の面識のない老夫婦から通りすがりに「もしもし、きゅうりいりませんか」と声をかけられ両手いっぱいにきゅりを頂いたり…、なにせ一年目ですのでびっくりなカルチャー体験でした。野菜の値段の基準、とは。
最初は遠慮がちに頂いていましたが、最近は「わーい!いただきます!」と素直に受け取ることにしています。
余っているのだから、受け取ったほうが相手の方もきっと嬉しいのだろう、と勝手にポジティブに想像して。
背景には自分への無価値感や罪悪感があるのか、私は昔から人に頼ったり、何かをしてもらったりすることが苦手でした。
「何かしてもらったら返さなきゃいけない。」
「私なんかにこんなよくしてもらって申し訳ない。」
感謝するよりも先にこんな気持ちが出てきてしまっていました。
今思えばとてももったいない考え方だったな、と思います。
最近出会った『ギフトエコノミー―買わない暮らしのつくり方』(リーズル・クラーク、レベッカ・ロックフェアー共著/服部雄一郎訳・青土社刊)という本では、無償での「贈与」や「分かち合い」によってモノやサービスが循環する枠組みについて書かれており、自分の今の暮らしに照らし合わせながら興味深く読んでいました。
ギフトエコノミーの分かち合いでは見返りを求めない、といいます。
何かを受け取ったときに、お返しをする必要はないし、「感謝」はしても「恩義」を感じる必要もない。
「ゆずる」「受け取る」「感謝する」という基本的なアクションをもとに、それぞれができる範囲で無理なく、自分の持っているものや技術を差し出しながら、循環をさせ、買わない暮らしを実践していく、というのが大まかなギフトエコノミーの概要です。
この根底には、自分や他者への信頼や感謝の気持ちが流れているところがいいな、と個人的に感じました。
また別で読んだ日本でギフトエコノミーを実践する方のインタビュー記事には、「自分たちが本来持っている力に気づけること」がギフトエコノミーの良さのひとつでもある、という言葉がありました。
私たち一人ひとりの価値は、肩書や所属、ましてや給与額ではないのに、お金を稼げる人が優れている、とか、お金を稼げないと暮らしていけない、という不安を無意識のうちに刷り込まれてきたかもしれません。
でも私は、野菜のおすそ分けというお金を介在しないやりとりを体験することで、自分の中のお金神話が少しずつ崩れ始め、そしてそれはとてもいいことだと、新たな豊かさの発見にささやかな光を見出すような気持ちになったのです。それから安心感も。
自分の存在価値というのは、決してお金ではかることはできなくて、差し出せるものは一人ひとり違う。
野菜でも、知恵でも、技術でも、どれも等しく交換はできる。
だからこそ自分で自分の差し出せるものを知ることは大事だし、なんならチャームポイントを堂々と言えるようになるくらい、まずは自分を褒めたり、肯定してあげる習慣ができるようになると、なんの疑いもなく自分や他者を信頼することができるんじゃないかな、と思いました。
だったら、私は一体なにを差し出せるだろう。
ずっと接客業をしてきたし、笑顔がいいねと褒められることがあったから、人を元気にすることかな、とか、本が好きだったから本にまつわることでできることがないかな、とか、改めて、人から評価されることを抜きにして、自分が持っているものについて思いを巡らせていた夏でした。
しかし、そんな小難しいことを抜きにしても、地産地消の食事ができることの豊かさよ。家計も大助かりで感謝感謝の毎日です。