ストリートの作法

 東京オリンピックが始まって1週間が経過した。世間では文字通り賛否両論がある中でも、真剣勝負をしているアスリートたちを画面越しに見ていると、高校生までは真剣にスポーツ(サッカー)に取り組んでいた身ということもあり、なんだかんだで、熱い気持ちになってしまう。また、ここ近年でYouTubeをはじめコンテンツの配信元と受け手の鑑賞側の両者の配信リテラシーが高まったこともあって、今回のオリンピックはインターネットを通じたスマートフォンで見るというパーソナルな行動になっている気がしている。

 そのおかげなのか、同時に色々と開催・配信されていることで、今まで気にも留めていなかったマイナースポーツと言われている種目にもしっかりと光が当たっているのも嬉しいことだ。中でも今回から新種目として追加された「スケートボード(ストリート)」はとても興味深い光景だった。もちろん男女ともに金メダルや銅メダルを獲得することができたことは、前提として喜ばしいことなのだが、興味深かったのは対戦中の相手とのコミュニケーションの部分を垣間見れたことなのだ。

 誰かが特別な技を決めた時は、敵、味方、さらには国籍関係なく賞賛や喜びあったりしている姿を目の当たりにし、競技としてとても不思議な一体感が生まれていた。通常の競技であれば、もちろんスポーツマンシップという言葉があるように、試合が終わればお互いを讃えあうということはあるにせよ、敵がゴールや点を取ったりした時に喜んだりなんかはしないだろう。これは、そもそもスケートボードはストリートカルチャーから広がっていったことがあり、トリックといわれる技が決まったこと、またはそれに挑戦する姿に対して敬意を払うという、競争を前提としていない習慣が、オリンピックという舞台で自然に表れていたのだった。

 



 僕は、もともとスケートボードを滑っているのを見るのが好きで、マガジンa quiet dayの取材の際に滞在中にも、スウェーデン第三の都市マルメに行った際には必ず立ち寄るスケートパークがある。パークの中をスケボー少年や少女たちがまるで自分の身体と一体となったボードで風を切る姿は、心からの自由さを感じられる瞬間でもあり、旅の中での束の間の一服といった気分にさせてくれるのだ。

 


 スケートボードではないけれど、もう一つ必ず立ち寄る場所は、デンマークのコペンハーゲンにあるカフェ「SORT KAFFE & VINYL」。日本語で言うなら「ブラックコーヒーとレコード」といったところか。オーナーのChristianとはマガジンでインタビューさせてもらってからの仲だ。ここでは少し深煎りだけれど香ばしいラテとChristianがセレクトしたジャズやソウル、そしてファンクミュージックのレコードがお決まりのコース。もともとジャズが好きだったので、この店に立ち寄った時にはジャズレコードを中心によく物色していたのだけれど、ある時ChristianにOtis ReddingやSTAX Recordsのコンピレーションレコードを勧めてもらったことで次第にソウルやファンクなどを聞くようになった。旅の疲れには、コクのあるラテとソウルやファンクの多重に奏でられた歌声が沁みるのだ。思えば、ジャズにしてもソウルやファンクにしても互いの得意とするところ、いわゆる技を表現し合うというカタチを変えたストリートの要素が少なからず感じられる。そこには前述したカルチャーの中で醸成された敬意にも似たところがあるのだろう。

 競争が当たり前の状況に変化の兆しが見え始めた今、わたしたちが必要なのは、こういった敬意(尊敬とは少し意味合いが異なる)と自由なストリートの作法なのかもしれない。

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