多幸感の環

ここ最近の多幸感について綴りたいと思います。

 

先日オモカゲファームで収穫したかぼちゃが大量にあったので、実店舗のお隣さんのお寿司屋さん(信州・上田で古くから営んでいる名店で上田一美味いお寿司が食べられる)にお裾分けをしました。すると少し時間が経ってから面影 book&craftの大家さんがやってきて今旬のシャインマスカットとナガノパープルを大量に持ってきてくれました。

この二つの出来事が一時間も経たぬ間、起きたことが驚きなのです。この時の多幸感といったらありません。自分が大の葡萄好きということは差し置いて、純粋な善意に基づいて(卑しい気持ちや下心がない)与え合う、そしてお金という便利な価値交換手段を必要としない循環、めぐりが生まれたことは何事にも変え難いことだなと感じました。

この三連休(2022108日から1010日)で小諸まで足を運び以前上田で開催していたloppisというマーケットイベントに遊びにいきました。そこでは信州で活躍する顔馴染みの方々が一同に介しており、なんだかんだ週末お店を開けているとそういう方々とお話しする機会もめっきり減ってしまうので(店主が出不精なだけという説もある)せっかくの機会だと重い腰をあげ(ほらやっぱり、出不精だ)小諸駅に向かいました。以前は特急あさまの停車駅で東信の玄関口として栄えた小諸でしたが、長野新幹線が開通し、小諸駅に停車しないと一気に衰退したようです。けれど近年自治体による食関連のシェフなどの移住促進や地域コミュニティの結束などもあり密かに盛りあがりを見せているんじゃないのかと気になっている場所です。古い街並みが残り少し時代をタイムスリップしたみたいな感覚になりました。

さて、お目当てのloppisに到着すると顔馴染みの方たちと久々の会話がはずみます。そして一通り挨拶し終え、2018年くらいに一度東京のイベントでお会いした方のブースを見つけ歩いて行くと、私が歩いて向かってくるのに気がつき私の名前を呼んでくれ再会しました。一度しかお会いできていないのにも関わらず、名前と顔を覚えていてくれて、ただそれだけで嬉しいものです。こうして文字にしてしまえば数行で終わってしまうものですが、この数行の中には4年ものそれぞれの時間が流れているのに覚えていてくれるということは何事にも変え難い大切な瞬間でもあります。

最近お店で本をご購入してくださるお客様がこのニュースレターやインスタグラムでの本の紹介を読んでくださっていて、amazonなどで購入せずにわざわざお店に足を運んでくださり手に取ってくださいます。本を知っていただけるきっかけの少しのお役に立てているということが何だかじんわりと嬉しいのです。そして直接「読みましたよ」と声をかけてくださる方もいらして、このニュースレターがしっかりと誰かに届いていることへの実感と安心がこころに灯ました。

つらつらとここ最近の自分が感じた多幸感について書いてきましたが、日々の中で少しだけ誰かのことを想う、思い遣る時間が増えると何となくこの多幸感の環が広がっていくのかなと感じています。最近はそんなことを思っています。

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