温故知新なモノ

 高校から大学に進学するにあたり、小論文というものを初めて書いた。人生で初めて書くその小論文は「過去・現在・未来についてあなたが考えることを論じてください。」といったテーマが与えられ、60分間で書くというものだった。ちょうどその小論文の試験の前日に試合に負け部活の引退が決まったこともあり、こころの中に空虚感が残ってしまい何かぼんやりとした気分で、その小論文に臨んだことを覚えている。

 そこで自分が書いたことは、「今は、昨日懸命に生きようとした人の未来である」ということを前日に引退をした部活のことを振り返りながら原稿用紙にまとめたような気がする。後日、校長先生との面接の際にこの自分の小論文をネタに色々と対話をするのだが、その対話の中で改めて自分の中で過去と未来をつなぐ「今」という時空間がとても大切なこと、そして過去・現在・未来という時間軸の中で全てが一繋ぎであるということをメタ認知することができたのだった。

 人はやもすると、過去の成功体験や失敗などに囚われたり、逆に未来の締め切りなどに追われてしまうことで、過去や未来を生きてしまっていて今ここという時間を見失ってしまっているのではないだろうか。そういう意味では、昨今マインドフルネスや茶道などが注目されているのもよくわかる。茶釜の湯が煮えたぎる松籟(しょうらい)の音が鳴り止むということで、逆に今という時間の流れの輪郭をはっきりと感じ取ることができる、そういった過去・現在・未来を繋げる今と自分を一致させるための装置の一つなのだろう。

 先週、自分たちがやっている家庭菜園の畑の様子を見に行った際に、隣の畑のおじいさんにこの土地のことについて話を聞く機会があった。近くを走る上信越自動車道(高速道路)を作る際に山を切り開いてみると、中から海水の成分を含んだ巨石が出てきた話などは、かつて長野という場所まで海が浸食していたことを物語っており、大きな時間の流れと変化にとても驚いた。こういった話を聞いているうちにふと、時代や時空間の連続性について考えの矛先が向いてしまったという訳だ。

 今年読んで一番の自分としてのハマったのが「コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ」という本だ。思想家/文明批評家のイヴァン・イリイチが提唱した概念「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」を足がかりに、これからの人間とテクノロジーのあり方を探る一冊で、タイトルにテクノロジーの文字があるものの難しいものではなく、そもそもの人間と道具はどのように付き合ってきたのかということを掘り下げていたり、人間の能力を最大限に引き伸ばし且つ能力を凌駕しない適度なバランス(共生関係)はどのようなものなのかといったことから、人間と自然、人間と人間の関係性まで考察を広げているところが、自分が今読むべき本としてドンピシャでハマったのだ。おかげでドッグイヤーした箇所がとても多くなってしまい、本が歪な形に変形している。

 過去、現在、未来の時系列の中での道具としてのモノの位置付けはどうなっていくのだろうか。いずれにしても人間と寄り添いながら良い関係性を築いていける道具であって欲しいと願うのだが、今週とあるデンマークのインテリアブランドのブランド戦略のプレゼンを聞く機会があった。そのプレゼンの中で、世の中のトレンド分析で「connect to heritage」というキーワードが出てきており、昨今のクラフトブームをより本質的に捉えているのだろうと感じられた。道具を作る技術面はもちろんのこと、それらが生まれた背景にある人間の暮らしの営み。つまりは未来の需要予測から生まれたモノではなく、過去から未来への一繋ぎの連続性の積み重なりの中で育まれていくモノに原点回帰していっているということなのだろう。

 今、あの頃の小論文を書くとしたら、こんなことを書いてみたいものだ。

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