自然の明かり

 最近日が暮れるのがとても早くなってきた。一年の中で陽が一番短くなる冬至に向かっているからということもあるのだろうけれど、四方八方を山々に囲まれた信州・上田にいる分、真夏の時よりも斜めに差し込んだ陽射しが山に遮られてしまい、東京にいた時よりもより一層暗くなるのが早く感じられる。こうした季節の変化は、日が暮れるのが早くなったことだけではなく、空気を漂う光の感覚が変わることによって感じるケースが多くなったように思う。自然が多い環境なので太陽の陽射しが様々な植物の葉に乱反射することで、空気自体の彩度と言ったら良いのか、光度といったら良いのか、その明かりは微妙に変化していく。自然が生み出す明かりという人間が本能的に感じる感覚を再認識、そして発見できることに日々喜びを感じているのだ。

 人間と明かりとの関係は、その文字を見てみても「日」と「月」からできているように、この太陽からくる陽射しとその光を反射し夜空にぽかんと浮かぶ月の光から始まっているように思う。両方とも古来より私たちの暮らしを照らし文化を育んでくれているとても重要な存在であることがうかがえる。

 実感値としては、日々自然農という農法で野菜などに接していると、肥料などを与えない分、そこに生えている雑草と雨水、そして太陽が肝で、それらだけを栄養として植物や野菜たちが育っていく。植物や野菜を育てる際に光合成を促す太陽光がとても重要だということは小学校の理科の授業で習ったように理解が容易かと思うが、夜の時間帯の月の明かりや満ち欠けの状態によってもその生育に大きな影響を及ぼす。1924年ドイツの人智哲学者ルドルフ・シュタイナーが提唱したバイオダイナミック農法の一説によると、満月の時は地球上の水分が月側の上空に引き寄せられるので「種まき」に適しており、逆に新月の時は地球内部に水分が引き寄せられるので、「苗植え」に適しているようだ。嘘か本当か分からないけれど、ものは試しだと実践してみると、面白いことに種はほぼ100%の確率で発芽し、苗は土と根がしっかりと活着してよく育っていく。

 人間も同じ生命体なのだから、こういう植物や野菜たちと同じように自然の明かりの変化や効用を知らず知らずのうちに受けているのだろう。昔から満月になると妊婦が産気づいたり、何かを初める時は新月が良いなど迷信のような言われというのもそうなのだろう。

 そういえば、マガジンa quiet dayの取材で良く訪れていた北欧諸国の人たちは、この自然界からの明かりの影響をもろに受けていたのも、目の当たりにした。というのも、北欧諸国では、夏は日付が変わる頃まで明るく、冬はまだ午後だというのに夜のような暗さがあるので、個人差はもちろんあるものの同じ人と会うにしても、夏に会う時と冬に会う時とでは、「えっ?別人ですか?」と聞きたくなるほど発するエネルギーがまるで違う。冬場は太陽の陽射しが極端に少なくなってしまい、体内でビタミンDが生成されず、少し鬱気味になってしまうのは北欧諸国ならではの社会問題や生活習慣問題となっており、ビタミン剤を服用している方も多くいる。

 

 

 そのため太陽の陽射しへの憧れや必要性というものを日々感じているそうだし、ただ明るければ良いということではなく、キャンドルの消費量が世界一ということからも分かるように、より自然に近い明かりを求めている。PHランプをデザインし北欧を代表するデンマークの照明デザイナー、ポール・ヘニングセンが初期の照明設計を担ったデンマーク人たちの憩いの場「チボリ公園」では、訪れた人々が心地よく過ごせるようにと、園内を明るさの強い電灯で照らすのではなく、弱い明かりを数多くつけることで、キャンドルをたくさん灯しているような雰囲気を作り上げているということを、現チボリ公園の照明ディレクターのWillがインタビューをした際にも語ってくれた。

 

 

 こういった社会的背景や環境下で生活している人たちから生み出される照明デザインや明かりは、自然の明かりに近しい。新旧問わず北欧諸国から生まれてくるどの照明を例にとっても、どれもが人間の営みに対して優しい明かりであるということにも頷けるのではないのだろうか。

 そして近年ではLEDの蓄電技術が目まぐるしく進化してきている。この蓄電技術によって従来ケーブルで固定化されていた照明器具が場所という制約から解放され、持ち運べるポータブル性が増した商品も続々と出てきている。まるで江戸時代に普及した行燈を彷彿とさせる。

 さて新たな技術と人間との関係性を考えるということはもちろん大切なのだけれど、そこに環境としての自然、そして効用として自然体であるかという「自然」という新たな視点やファクターを取り入れていくことで、時間軸がロングスパンでじっくりとその本質を捉えて考えてゆけるのではないだろうか。