暮らしを旅する

 気軽に海外に旅に出ることができた頃から早2年が経とうとしている。現地で買付をしたものや、色々な方たちに取材をした話などの思い出をいっぱい詰め込んだ重いスーツケースを現地の空港まで引きずり、真冬であっても大量の汗をかきながらチェックインしていた頃がとても懐かしく思う。そうして12時間ほどのフライトの後の頭がボーっとして気だるい感じや、飛行機の中の小さなスクリーンで見る映画なんかも普段なら絶対に見ないような映画をチョイスしてそれが意外と良かったりで、自分にとって全てを“オフ”にできる貴重な時間だったことが今になって気づかされる。

 

 

 頻繁に旅に行っていた時は2ヶ月に一度の頻度で飛行機に乗っていたと考えると、よくもまあ、そんなに行ったものだなと思うけれど、その頃、旅に関して巷でよく言われ、聞かれていたのが「暮らすように旅をする」というキーワードだった。旅先で、ローカルで生活する人と同じように食べ、飲み、遊ぶといったところだろうか。

 

 

 実際に海外では特にAirbnbなどでローカルの人たちと共同の家で生活したり、はたまた部屋を丸ごと借りて滞在する、みたいなことは滞在費用を抑えるという意味でも自分自身もよくやっていた。さらにガイドブックなどもオンライン化されてきており、如何にローカルの情報をいち早くキャッチアップしていくかみたいなところがあったように思う。自分はそういう情報は、仲の良いカフェの店主やヴィンテージショップのオーナーなどの会話から得ていた。なぜだか、ヴィンテージショップのオーナーというものは、すごくニッチだろうけれど、センスの良いスポットを知っているものだった。

 “舞台”が変わることによって、自分の日常生活の延長線において旅先でのローカル化した日常と日本にいた時のそれとの違いや共通点を自らが五感を通して感じることで心の中に唯一無二のガイドブックができていくのだろう。そして、小さいことでも自分で体験し、感じ、発見できる喜びは今から数年前のことなのにも関わらず、鮮明に記憶されていくのだ。

 最近「暮らしを旅する」という一冊の本を手にした。建築家の中村好文さんが新聞社や雑誌への寄稿連載をまとめたエッセイ集なのだが、挿絵や一枚の写真と一緒に編集されたショートエッセイがまとめられていて、秋の夜長にとっておきの一冊になりそうなのだ。何気ない中村さんの日常が垣間見える中でも、彼自身の感性に基づいた発見や気づきが言語化されていて、暮らしの中に様々な視点を持ち込むことで、日常生活がある種の旅した時の感覚にもなれるということを気がつかせてくれる。もちろんこれもバランスが必要なのだと思うのだけれど、気軽に旅に出られない今だからこそ、こうした暮らしを様々な視点で捉え直し、旅をしてみるということが今の時代は特に大切になってくるのではないだろうか。

 先日、そんな「暮らしを旅する」体験をした。上田市から少しだけ離れた佐久市春日を拠点に活動しているイチと二さんが主宰するディナーコース「宵の部」に参加させてもらった。

 

 私たちが普段日常的に口にする食事はどんなに美味しくても味付けなどが先に味覚の印象として残るのに対し、佐久市で採れた野菜や作物をふんだんに使った「宵の部」料理は、素材の味がメインに感じられ味のアシストとして味付けが加えられている印象だ。大袈裟ではなく、口にした時に初めて食べ物を口にした時はこういった感覚なのだろうと、何かが呼び起こされ、当たり前の食べるという視点が180度動かされるような食体験だった。

 宴が終わり車に乗り込もうとふと空を見上げると夜空に満点に広がる星が夏の終わりを告げ、夏の小さな暮らしの旅のエンドロールを演出してくれた。そして、夜道を走るカーラジオから流れる森山良子の「さよならの夏」がまたそんな気分に拍車をかけてくれるのだった。