自分の面影をみつめる
「まだ自分の中で考えがまとまっていないから、発言ができない。」という声をたまに聞くことがある。けれど自分の実体験などを通してこの状況を考えてみると「発言しないから、考えがまとまらない。」という言い方のほうが適切なのだろうと思う。
発言していくほど、相手からの勘違いを含むフィードバックやその自分にとっての誤読とも言える相手の意見と対比をしながら自分の意見や考え方が形成されていくのだから、発言や発信をしていけば、良し悪しに関わらず、自分というものの輪郭が明らかになっていく。最終的にでた答えだけではなく、その思考のプロセスを辿ることが、実はとても重要じゃないだろうか。
創造性についてもそうだ。それは一瞬の閃きではなく、プロセスであると著名な人は言う。物事の流れや手順の中で起こり生まれるものであって神がかりなアイデアが生まれてくるわけでない。マガジンa quiet dayを製作している時もほとんどがそうだ。自分で設定した納期に追われながらIndesignを使ってレイアウトを組んでいると、このクリエイターが言っていることと、あのクリエイターが言っていることの間に文脈の橋ができて、自分がこうだ、と設定していたテーマがよりブラッシュアップされたり、より簡潔な言葉を見つけることができる。
スポーツ経験者ならご理解いただけそうなのだが、突然目の前に決定的なパスコースやドリブルのコースが見えてそれ通りに体を動かしていくとゴールできる、あの時のような感覚だ。その瞬間は閃きのように思えるが、それが生まれたプロセスを振り返ってみると、そうあって然るべき道といったような状況がアウトプットというプロセスを重ねていくことによって生まれていることがわかる。ある種、伏線を回収していくような意識に近いのだろうか。
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2021年初冬に現在の生活拠点、長野県上田市で「面影 book&craft」という実店舗を妻とスタートさせる。
自分がa quiet dayで関係性のできたクリエイターたちのプロダクトをキュレーションしていき、妻が本屋B&B時代に培った選書スキルで書籍をセレクトしていく。
店名に「面影」という言葉を用いたのも今となっては何がきっかけだったのかすら、あやふやだ。けれどプロセスを辿ってみると、お互いに大事にしていることを出し合う中で「内面性」と「外面性」という二つの要素に分けられ、言葉にすると二項対立的なのだが実際には両者が複雑に混ざり合い、その間の淡い部分を何かしらの表現として言葉を探していた時にでてきた熟語だったように思う。
言葉が決まり、語源や意味を調べてみれば「面」は「表」を表し、「影」は表側に光が当たったことでできる「裏」のことを表しているそうで、一つの事象や事物を別の角度や視点から見ているような言葉の意味から、自分たちのやりたいこと、やっていくべきこと、その意味性に気づかされるのだった。
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「面影 book&craft」aboutページにも書いたのだが、最終的には作り手や使い手という立場を超えて何かを育める場、共に編んでいく場を実店舗やオンラインを通じて作っていければなとぼんやりだが考えている。十人十色というように一人一人考え方や感じ方が異なる人間と人間同士が社会を作り共生していくための、経験のデザインはどのようにしていけばいいのか。こういった問いも、これから様々なことをアウトプットしていき、近い将来そのアウトプットのプロセスを振り返ってみることで、その道程に気がつくことがこれからも多くありそうだ。